手記公開について
この手記を公開することに躊躇した。個人のプライバシーであり、私生活を世間に公表することは宜しいとは思わない。しかし、この手記に公開により、少しでも思想に共感した人々の糧になればと思ったのだ。実際、亡くなった本人も、私物はどのように扱っても良い、という遺書を残している。この遺書に従い、多くの私物は処分されたが、この手記は知人の捜査関係者から提供された。遺書の中に、人々の生活の利益になるのであれば公開しても構わない、という記述があった。私は捜査関係者に許可をもらい、慎重に中身を検討した結果、この手記を公開することにした。この手記が少しでも多くの人の人生に活かされることを祈る。
フリージャーナリスト蒲生
半隠遁者生活者の手記
半隠遁生活とは
半隠遁生活とは何か。世間的な付き合いを減らし、自分の時間を確保、自分の活動に没頭すること。世間的な付き合い=仕事、人間関係。自分の時間=自由時間。自らの活動=?。?の部分は、それぞれで定義するしかない。趣味、人間関係(親族、友人、恋人)を充実させる活動など。ここは主観で判断される所。半隠遁生活を営みながら、改良していくのが望ましいだろう。これが半隠遁生活。完全な隠遁生活だと、人間関係が完全に切れてしまうため、私は継続できなかった。中途半端な隠遁生活で、半隠遁生活だ。仙人になれなくとも、半分で意外と自由な時間は増える。人付き合いを半減させると、人付き合いの時間が面白くなる。それぞれ理想の半隠遁生活を夢想し、実践していくのがいいだろう。自身の楽園を作り上げる生活でもある。
価値観の見直し
人生を解剖していくと、多くの時間を費やしている要素が見つかる。仕事、趣味、人間関係(家族、友人、恋人、パートナー)、健康、お金、結婚、子育て、夢。人間の悩みが発生しやすい事柄。半隠遁生活では、これらを深掘りし、自分にとって、どのくらい重要で、どれを縮小するのかを考える必要がある。内省の時間。半隠遁生活では、内省の時間が多くなる。孤独時間が増えると、どうしても思索に費やすことになる。孤独のご利益。一に内省、二に内省、三四内省、五に内省。独自の半隠遁生活を構築する。楽園を作り上げる。
自らの死
私はいつか死んでしまう。これは真理。不動の運命。となると、時間は有限。人生でできることは限られる。時間を大切に。そんなことは知っている。しかし、できない。なぜだろうか。どうしても必要のないものに時間を費やす。私が死ぬということを毎日考える。常に有限性を意識する。時間の浪費癖はマシになるだろうか。自分が人生で成したいことは何か。もう30年程生きてきた。30年。なかなかに長い時間だ。私はいつ消えるか分からない。どれくらいの時間が残されているのか。自分の価値観を明確にし、欲に従うのが最良。大きな欲望に時間、お金、思考力を使う。30年生きてきた軌跡を振り返るとよく分かる。自分が多くの時間を費やしてきたものが目印。私の好き嫌いが分かる。私は多くの夢を捨ててきた。諦めてきた。選択を重ねてきた。現状の人生に満足しているか。どうだろう。まだやりたいことは残されている。死は確定している。それを意識しつつ、時間を有意義に使う。自分の趣味、人間関係、学問に。自分を分析し、行動計画を策定、修正する。自分の欲に従った活動で、人生を面白がれるだろう。もう少しばかりこの世を楽しむことにしよう。自らの死を意識しつつ。
半隠遁者の労働
本業
半隠遁者の労働について。何のために働くのか。食うために働く。半隠遁生活、知的生活、趣味生活のために働く。工場労働者に仕事のやりがいなどない。やりがいはない、が苦痛もない。工場労働という短調さをいかに面白がるか。空想に限る。自分の立場をめまぐるしく変える。戦時体制の工場が一番良い。最前線の兵士のために物資を製造する。空想的愛国心のために働く。空想的やりがいを生み出す。仕事への不満や愚痴が出てこない。休日の過ごし方を計画、最近読破した本の考察、将来の人生設計、など作業と同時進行で面白がる。仕事は工夫で楽しくなる。工夫次第。試行錯誤の毎日だ。他には、常に効率の良い作業方法はないか思索する。生産性の向上だ。他に改善の余地はないかな、と頭を捻る。空想と改善で面白さ倍増。工場労働でもやり方次第ということだ。毎日働き、少しばかりの給金を受け取る。帰宅後は、孤独な生活。お迎えはない。シンと静まった自室。沈黙の暗室。しかし、これがいい。自活できているため、自尊心は傷つかない。寂しさも感じない。疲労困憊の中で、誰かに配慮できる余裕はない。他者と喧嘩する種を蒔く可能性もない。ここが独り暮らしの良い点だ。他者との比較で虚しくならないのか?という質問。SNSは全て削除してしまった。もう十分楽しんだ。なかなかに面白いSNS人生だった。これからは半隠遁生活。情報はネットニュースがある。毎日繰り返しの労働。何か一つ新しい空想を生み出す。新鮮さを殺さないことだ。全てが同じだと月日が一瞬になる。これはよろしくない。どうせするなら面白がる。面白がりながら給金を拝領。雇われの身でも、案外面白い。安定は滅亡の一歩。しかし、所々で工夫を取り入れる。毎日に少しばかりの新しい風。好きな、憧れの職業ではないが、労働は好きだ。興味はなかったが、働いていると面白くなってきた。いや、自分が工夫して面白くしたのか?お給料は、生活費、趣味費、貯蓄費だ。遊びにもお金を費やす。将来への貯蓄も同じだ。経済的余裕は心の平穏をもたらす。半隠遁生活の経費のためにも毎日稼ぐのだ。労働は人生の大半を占める。どうせなら面白くやっていきたい。労働環境や待遇、人間関係など、困難をもたらす要因は多数ある。しかし、同時に充実感も生み出してくれる。定期的に労働観を見直してみる。意外な発見があるかもしれない。年代別で行うのもおすすめだ。時代や年齢によって価値観も変わる。自分に適した労働にできるだけ近づけていく。労働からも幸福を生み出せれば言うことなしだ。これが半隠遁者の労働。
キャリアと出世
半隠遁者とキャリア形成。労働人生の道程をどう生きていくか。職業を通じて何を得たいのか。金銭、社会的地位や信用、職業を通じた経験、スキル、人間関係。労働は多くのものを提供する。だからこそ、自分が得たいものを熟考する。工場労働者から何を獲得するか。内省の時間が到来。孤独な自室でキャリアについて思索する。半隠遁者のキャリアは、基本的に出世を望まない。適度な金銭の獲得。望みは少なく、足るを知る。つまり自分の時間の確保。仕事の時間はできるだけ短く。残業も最小に。しかし、成果は出す。給料分の仕事はきっちりとこなす。仕事の手は決して抜かない。勤勉な半隠遁者であるべきだ。勤労半隠遁者。大いに働き、大いに半隠遁する。労働後は趣味の時間にどっぷりと浸かる。半隠遁者の出世は望めない。平社員で行くのだ。有能な平社員であれ。組織的には、煙たがれるかもしれない。だが、貢献は怠らない。経済的には恵まれないかもしれない。一定の収入を確保することが狙い。家計をやりくりし、生活費、趣味費、貯金費を捻り出す。ここは工夫のしどころだ。本業は、キャリア、出世を望まない。副業で創作的な活動に勤しむ。肉体労働と知能労働のバランスを取る。副業は金銭目的より芸術活動の促進。工場労働者では、スキルの習得、熟練は難しいかもしれない。そのため、副業でそれを補う必要がある。副業については、後の項目で考えてみたい。半隠遁者の仕事は、安定した、一定収入を手に入れるために働くこと。手は抜かない。組織に貢献するが、犠牲にはならないこと。
副業
本業では、安定的な収入を得る。もちろん、やりがいもあればいい。楽しさ、愉快な人間関係。本業でも多くを望めるかもしれない。社会的地位、信用、職業的スキル、人間関係。奮起すれば全て叶うかもしれない。しかし、私はそこそこを求める。まずは、最低限である安定収入を得る。それを達成して、他が手に入れば尚良し。できなければ、まあそれまでと諦める。潔さも時には人生に必要。欲深ければ災も多し。自らが望んでいるのに、それを偽る場合は別だ。職業における自分の欲を自覚すること。多くを望む人生もいいが、手に入らないときには心が疲れる。無論、多くを望まないから、多くを手に入れられないという批判もあるだろう。ここはもう主観だ。主観に従って行こう。では、半隠遁者の副業では何を求めるか。私は、創造性、をテーマにしている。何か自分で作品を生み出す。コンテンツの種類はなんでもいい。自分の内側から生じたものを表現する。形はその都度考える。芸術系を好む。音楽、美術、文学。クリエイターというのか。小さい頃、ミュージシャンや画家に憧れていた。しかし、憧れのまま終わってしまった。最近は、空いた時間で作品を生み出している。さらにAIの力を借りれば、非常に効率的だ。自分の手で為すのも面白い。最新のAIに触れるのも一興だ。とにかく面白おかしいものに手をだす。手を動かし、試作する。理論を学び、応用する。試行錯誤の毎日。毎日、少しばかりの活動。これらが活力を生み出す。充実した時間を提供してくれる。本業で苦痛が生じたときも救ってくれる。次の本業の意欲を掻き立てる。もちろん副収入があれば、嬉しい。それよりも創造的活動の利益が大きすぎる。精神的な浄化が最大の利点だ。お金を稼ぐことができれば満点だろう。これからも副業の探検は続く。他の分野に手を伸ばすこともできるから。副業の良いところは、簡単に投げ出せるところだ。次の副業への壁が低い。時間も費用もほどほどで済む。自分の工夫次第でどうにでもなる。この創意工夫が本業にも活きる。相乗効果を生み出す。
いつまで働くか
半隠遁は自分の時間を確保すること。つまり、労働時間をできるだけ短縮すること。半隠遁者は労働を毛嫌いしているのでは?と思われそうだ。労働時間の縮小に努める。だが案外、私は労働を苦痛と思っていない。労働環境、待遇、人間関係。特別良いと思っていない。しかし、嫌悪はない。労働から得られるものも多い。安定した生活を獲得できる。定額の収入は精神を穏やかにする。余裕を生み出す。この労働をいつまで続けるか。長年働くのも悪くないと思っている。生涯労働でもよさそうだ。工場労働者をいつまで続けられるかは分からない。時代の変化で消えていく職業もある。職を選ばなければ、何かしらの労働はできると考えている。老年の肉体労働となると難しい。適度な重労働なら大丈夫かもしれない。頭脳労働なら少しばかり長く働けそうだ。体が許すまでは肉体労働、それ以降は頭脳労働で小銭を稼ぐ。私は今31歳。50年後の社会はどうなっているだろうか。そもそも労働が現在の形で残っているかも分からない。AIがどこまで発展するのか。さらにAIの次の存在が生まれてくるのか。もし、80歳まで生きると考えると、あと50年の労働。ちまちま稼ぎながら、趣味生活を送る。理想型ではあるが、どこまで実現できるか。早死にしてしまえばお仕舞い。今のところは、生涯労働の方針でいく。社会の変化を見ながら、計画修正を行う。長生きできるといいがね。独身生活には自活の力が必要だ。仮に、死ぬまで独身とする。すると、生活の全てを自分で賄う必要がある。パートナーができるかもしれないが、その時にしか分からない。基本的には孤独な生活を送る。自分の価値観に沿った生活、労働を行なっていくことが肝要だ。
転職
半隠遁者として、転職をどう考えるか。今日、年功序列、定年雇用が揺らぎつつあるという。転職を経て、経歴を昇華させる。スキルを身につけ、常に学び続ける。情報収集を怠らず、自己成長を目指す。経験値を上げて、レベルアップするのは面白い。ゲームと同じだ。その方法の一つとして転職。スキルや年収の向上が見込める。人間関係の改善にも。うまくいけば人生が大きく展開するだろう。では、半隠遁者は?転職するつもりはない。もちろん今のところだが。面白そうだとは思うが、今の環境に安住しようと思う。そこそこの年収、そこそこの人間関係、多めの残業。総合的に見ると悪くない。自分の趣味時間も作れている。休日出勤も多いが、特に心身に圧迫感はない。淡々とこなしている感じだ。今の会社が今後どうなるか分からないが、現状は転職しない。いずれその時は来るかもしれないが。環境を変えることで、人生が変わることもあるそうだ。冒険心の強い半隠遁者は試されると良いだろう。今後、仕事の概念自体が変化しそうな雰囲気はある。会社も変化する。働き方もコロナ騒動以降、劇的に改革された。個人で仕事をする人も多い。技術革新で消える仕事もあれば、新しい仕事も生まれてくる。できることは何か。好奇心を持ち続け、変化に対応していくこと。同時に、その変化の過程を面白がれる心の余裕も持ち合わせておきたい。仕事も趣味も、諸々を面白がって行こうと思う。
半隠遁者の趣味
半隠遁者にとって趣味の時間は生命線だ。我が人生にとって欠かせない。趣味あってこその人生。趣味が私を救ってくれる。半隠遁生活の目的は、自分の時間を確保することだ。その時間を趣味時間に投下する。余暇の時間。魂の休息。仕事の疲れを癒す。余暇を求めない人間は少ない。むしろ余暇のために働くという人も。私はどうだろうか。同じだ。余暇の時間が面白くて仕方がない。学生時代は、余暇を持て余した。愉快な過ごし方を知らなかった。社会人になると変わる。趣味を求めるが、時間がない。労働にほとんどの時間を使う。食うためだ。金を安定的に稼ぐ。心の平穏を保つために。余ったお金で余暇を楽しむ。もっとも、昨今はサービスが充実しており、無料でも快楽は追求できる。むしろ、どれだけ安く快楽を感じられるかも重要。小さく暮らす。ミニマリストではないが、身の丈の合わない余暇は身を滅ぼす。一度、高額な快楽を知れば後戻りは難しい。そのような贅沢も人生に華を添えることに違いはないが。私の財力では限度がある。生活費、貯蓄費を差し引くと、高額な趣味は年に1、2回できるかどうかだろう。生活費を上げると、なかなか元通りにできない。私も経験がある。最近では、支出の先を限定し、集中的に資金を投下している。かなり面白い。未経験の趣味を開拓したり、これまでの趣味を深掘りしてみる。無料の趣味も創意工夫で見つけ出す。大金持ちではないが、今日の快楽コンテンツと時たまの高額余暇、そして知的な遊び。これだけの趣味があれば人生を謳歌できる。と、私は信じている。昔の王侯貴族よりも豊かな暮らし。ありがたいことだ。この幸福を噛み締めつつ、世の中を面白がりながら生きていく。大いに労働し、大いに遊び、学び、そして、死んでいく。有限な人生をしゃぶり尽くす。そのためにも趣味の充実は欠かせない。私の趣味は孤独物が多い。誰にも会わずに、コソコソと趣味を続ける。休日の読書や語学勉強、散歩等々。流行りのSNSに投稿することも無くなった。以前は友人の投稿だけを確認していたが、遂にアカウントを全て消してしまった。共有することに少し疲れた。SNSの時間を趣味に転換すれば、さらに人生は充実するだろう。半隠遁生活に趣味は欠かせない。趣味ありて、半隠遁ありということだ。
知的な趣味
半隠遁者の趣味について深掘りする。勉強、読書。社会人以降、勉強の面白さに気がついた。学ぶことの面白さ、学び直す、新しいことを知る。これがなかなかに快楽だ。学生時代は、強制感や焦燥感から勉強していた。知ること自体の愉快さまで到達できなかった。今は純粋な理由、内側から湧いてくる好奇心が強い。好奇心とはなんとも良いものだ。だが、悲しいことに時間が少ない。毎日の労働が時間を奪っていく。安定した生活のためには労働も必要。必要最低限にできれば良いのだが。食うためには自分の時間を使う。そのお金で趣味を拡張する。後悔しても仕方がない。これからの時間を大切にする。じっくりと時間をかけて学んでいく。誰にも、何にも強制されない。自分勝手に学ぶ。知的な半隠遁生活。自分のための、自己中心的な学び。面白い。人生が充実してくる。結局は人生の幸福に至る。もっと知りたいことがある。1を知れば、100をさらに知りたくなる。可笑しな性格だ。知的生活。知の連鎖が起こる。文系理系問わずに満遍なく勉強していく。森羅万象を追い求める。私は歴史学の専攻だった。歴史研究を深めるのも良い。同時に天文学や物理学にも手を出していく。歴史は全ての道に通じている。天文の歴史、物理の歴史。知は力なり。知を持って半隠遁を営んでいく。心身が健康であれば、生涯学び続けられる。肉体労働には限界がある。しかし、知能、知的活動は息が長い。お金もそこまでかからない。むしろ図書館に行けば全て無料。ありがたい世の中だ。先人の知恵を借りる時だろう。読書、フィールドワーク、創作活動。どれも私を快楽に導く。精神的な快楽。肉体的とは違う面白さ。とにもかくにも面白がる。自分なりの工夫をして面白がる。もっと面白い知的学び方があるかも知れない。実験は続くだろう。半隠遁あるところに知性は生まれる。
知的な趣味 読書
知的な趣味 語学学習
知的な趣味 芸術活動
高級余暇
半隠遁者と高級余暇。高級余暇とは何か。名のとおり、お金をたくさん使う趣味のこと。旅行、美食、高級ホテル、海外旅行、AI。無料で行う知的趣味は素晴らしい。一方で、お金の使い方も知ること。黄泉の国には持っていけない。生活費と貯蓄費を差し引いた分は、しっかりと使っていく必要がある。お金と思い出のバランスを調整する。ということは、ある程度、体力がある時期に思い出を作る事。私の高級余暇は旅行だ。世の中には、様々な高級余暇がある。飲食、ファッション、車、住宅、芸術などなど、お金を使うところは数多ある。その中から、自分を作っていく。ここは自分の価値観を明確にする。どこに使えば幸福になるか。充実感があるか。私は旅行くらいだろうか。上記の読書や語学、芸術系の趣味のため歴史スポットを巡ることが多い。神社、寺、城跡、博物館、民俗資料館、美術館。フィールドワーク的な要素が強い。旅行に関しては、2通りある。一人旅か友人旅行か。一人旅の際は、上記の歴史スポットを巡る。友人旅の時は、食や宿に比重がある。どちらも面白い。偏らないからこそ、新鮮さが失われない。贅を尽くした美食、高級ホテルも良い。普段経験しないような非日常。そこから食や宿泊などの分野に興味を持つかもしれない。各業界の歴史を調べてみる。これが面白い。数少ない友人と少しお高めの宿に泊まってみる。そこで、少しお高めのつまみと酒に酔う。語り合うだけで面白い。いい思い出になっている。これからも少しづつ思い出を増やしていく。年に何度もできることではない。しかし、毎日お金を稼いでいる。時には使うことも学ぶ。振り返ってみると、案外、お金を使っていない。メリハリをつけて使っていきたい。最近では、オーケストラの鑑賞や美術展に足を運んでいる。特別展などでは、意外と値が張る。旅行、芸術。そしてAI。近頃のAIは進化が著しい。イラストも音楽も映像も作成できる。事務作業や検索、人間の力を凌駕している。人間が人工知能に学ぶ時代。ここに少しお金を使っている。知的趣味にも分類できそうな気もする。とにかく、高級余暇は、時々行う。常に求めると飽きが来る。稀にで十分だ。大金も持ち合わせていないということもあるが。高級余暇:旅行、美食、高級ホテル、海外旅行、AI。30歳を超えてからは、海外にも赴きたい。年に一度。アジアを中心に周りたい。国内旅行も欲が深まっている。となると、やはり自分の時間を確保することになってくる。半隠遁生活に旅行はうってつけだ。高級余暇も時には取り入れ、新鮮さを味わう。好奇心を生み出し、冒険心がくすぐられる。行動力が高まり、思い出のアルバムも充実してくる。歳を重ねると体も思考も重くなり、欲も薄くなってくるだろう。今のうちに、体力を要する余暇は詰めておきたい。
室内余暇
室内で行う余暇。読書、筋力トレーニング。大型連休などは旅行に出かける。しかし、単休での旅行は忙しなくなる。その時は室内余暇を行う。お金のかからない余暇。できるだけ無料のコンテンツを味わう。知的余暇や高級余暇でお金を使うことになる。バランスを取るために、室内では節約すること。そうすれば、お金のメリハリがつく。無駄遣いもなくなる。使うべきところにたっぷりと使う。では、室内余暇は何をするか。これは知的余暇に共通する部分もある。まずは読書。新品や中古を購入しても良いが、ここでは図書館を使う。無料だからだ。図書館で面白そうな本を漁る。いい時代になった。初めに図書館で感触を確かめる。お気に入りにしたいなら購入する。しかし、手元に置きたい本は稀だ。自分の興味のある分野が多い。歴史、文学、政治、経済。時には理系分野にも手をだす。好奇心を刺激するため。天文学、物理学。数学も試してみたい。現実世界で学問がどのように応用されているのか。そうだ、応用だ。学問は応用してこそ真価を発揮する。学生時代は勉強の面白さに気づけなかった。忙しい社会人になってから知る面白さ、皮肉なものだ。他の室内余暇は筋力トレーニング。頭脳の鍛錬の後は、肉体の鍛錬。心身を鍛えることで、生活も充実してくる。しかし、ボディービルダーになるわけではない。ほどほどにしておく。すると、案外、習慣化できる。勉学に疲れてくると筋トレ。肉体疲労の次は、頭脳酷使。これの連鎖で、人格を育成していく。どこを目指しているのかは知らない。なんとなく自分の欲望に従う。知と体の鍛錬をこれからも続ける。室内で長時間過ごしていると、閉塞感が増してくる。体も凝ってくる。その問題を解決するために、次の室外余暇を楽しむ。
室外余暇
半隠遁者の室外活動とは何か。散歩。ランニング。自然観察。これも高級余暇、知的余暇の反動で無料志向になっている。室内での活動に閉塞感を感じると外へ。学問や創作活動で凝った体をほぐすために。外気を取り入れるだけで快楽。晴れの日は言うまでもないが、雨の日も繰り出す。曇りでも。どの天気でも感性が刺激される。晴天の開放感、曇天のどんより感、雨天の土の香り。森羅万象を楽しむ。同時に体を動かすため、健康にも良い。良い事しかない。室内では、知を頭に詰め込んでいる。それを適度に整理していく。凝り固まった頭をほぐす。考えつつも、時には無になる。無為自然だ。運動に没頭していく。すると、不意に考えがまとまる。新しいアイデアが生まれる。知の連結が発生する。住宅街をスタスタと歩く。郊外、山間部へと向かっていく。自然を眺めるため。休憩時に山間部を眺めてみる。河川を、空中を。田舎生活では、ここに利点がある。自然がすぐそばにある。遠足感覚で自然を感じに行く。自然の雄大さの前では、悩みは失せる。頻繁に鑑賞することで、愛着も湧く。リラックスの最良方法かもしれない。やめられない余暇だ。
未知の余暇
これまで経験したことのない趣味に手を出してみること。室内外で取り組んでいく。芸術。軍事。スポーツ。芸術系は、美術、音楽、伝統芸能。軍事系は馬術、射撃、弓道。〇〇教室にも通ってみたい。スポーツではウィンタースポーツ、マリンスポーツに興味がある。スカイダイビングや気球、ハングライダーなどもいい。空を飛ぶという経験は体力のあるうちでないと。未知の経験が、また人生を面白くする。充実感、ワクワク感をもたらす。これまで様々な余暇について話してきた。習慣化で固定するのも良い。少数精鋭で固めるのも悪くない。ルーティンは生活に安定を生み出す。しかし、マンネリ化の可能性もある。時々、新しい風を吹き込む。バランスも重要だ。自分が心地の良い割合を弾き出す。習慣と未知の調和を目指す。それが未知の余暇、未知の趣味だ。開拓使になること。遣唐使のように、異国の文化を取り入れる姿勢。好奇心も生まれるだろう。とにかく、手を出してみる。時間は意外とある。老いると体力が衰える。それまでに活動的な趣味に取り組む。老後は改めて、知的活動、知的余暇でもいい。健康と相談しながら、様々な趣味に取り組んでいく。半端で終わっても良い。そもそも半隠遁者なのだから。
余暇時間の確保
半隠遁生活とは自分の時間を確保し、理想生活を実現すること。その時間を守ることは、半隠遁生活の生命線。時間こそ全て。これまで使ってきた時間を振り返る。何に時間を消費してきたか。それが理想生活に直結しているか。内政の時間を設ける。どこから半隠遁時間を捻出するか。仕事終わりの平日の夜、休日、大型連休。隙間時間をうまく活用する。特に平日。たくさんこなそうとすると苦しい。完璧は必要ない。完璧主義はいずれ行き詰まる。焦燥感と不安感に襲われる。隙間時間に少しできたな、という小さな達成感。これが小さな充実感をもたらす。自分が有能だと思える。毎日、少量の積み木を積んでいく。やがてバベルの塔となるだろう。平日の夜は室内余暇。休日には室外余暇。大型連休には高級余暇を行う。限られた時間で何をするか。なんとなくな行動から意欲的な行動へ。SNSも私の生活から消えかけている。読書、語学、筋トレ。短時間で行える趣味がある。これらが充実感を生み出す。しかし、労働の疲れがあるときは、迷うことなく寝る。寝るに限るのだ。睡眠、食事、運動。三位一体が趣味の活動意欲をもたらす。そして、休日になんとなくしている行動を削減してみる。目的なき行動も無為自然で良い。同時に明確な目標を持った活動も組み込む。かといって、全て効率化、生産性を要求してしまうと、非常に疲れる。切迫感が募る。無為の時間も必要だ。無用の用。道家的になってみるのも良い。無為自然まではいけない。半無為自然。ここでも半分。半端な人間へ。社会人の余暇時間は限られている。いかに自分の求める行動に専念できるか。いかに外部の誘惑を適度に振り払えるか。武装し、外敵を撃退する。戦略家となり、攻防戦に備える。森羅万象が私の時間を持ち去ろうとする。戦いの時だ。魂に従い、鬨の声を上げよ!八百万の神々の加護を求める!自己の時間を死守すること。そこに半隠遁のやりがいがある。
余暇と人間関係
趣味に没頭するときの人間関係について。独りの余暇と他者との合同余暇を区別してみる。独りと複数の区別。私はほとんどが孤独余暇だ。複数で行うときは、年に数回。本当に少なくなってしまった。半隠遁生活は自分の時間を確保すること。友人に会うのは年末の大型連休だけだ。一週間の長期休みにまとめて会う。その時に食事会や旅行を行う。それ以外の余暇は孤独になる。社会人になると、友人との会合も激減する。結婚、子育て真っ盛りの家庭を邪魔できない。必然と独りの趣味時間が増えていく。しかし、悔いてはいない。これこそ私が求めていた理想生活ではないか。自分の時間を確保し、趣味に没頭する生活。友人との関係は続いている。孤立してはいないのだ。孤独ではあるが。地に足付いた充実と幸福がある。孤独趣味、合同趣味、どちらも同じように面白がれば良い。面白がる。それぞれに魅力な点がある。それを炙り出し、堪能する。五臓六腑に染み渡らせる。独りでは、好き勝手な余暇計画。複数では享楽の共有、近況の語り部。どちらも面白いのだ。私の人生には欠かせない。人間関係はかくも重要。複数余暇があるから、孤独余暇の充実も指数関数。年に数回の複数余暇。年中無休の孤独余暇。素晴らしきかな、我が半隠遁!
半隠遁生活の人間関係
次は人間関係について述べていく。半隠遁生活継続に必要なコツ。人間関係をどうするか。自分の時間を確保する。それを趣味に振り分ける。同時に人間関係にも投入する。私の交際範囲は狭い。友人も少ない。狭く深く長く付き合っていくタイプだ。ゆえに顔は広くない。小中学校、高校、大学。これらのグループ。それぞれに友人がいるが、現在、関係が続いているのは、両手で数えられるくらいだ。いつの間にか少数精鋭に。半隠遁は仙人生活ではない。俗世からの完全な隔離ではない。半分だけ仙人生活。もう半分は俗世生活。人間と触れ合う時間を設ける。同時に孤独な時間も製造する。両得の生活を送る。どちらも楽しむことができれば、人生は充実する。私はどちらかというと孤独を好む人間だ。これまでの人生、集団行動も欠かさなかったが、結局は孤独に居心地の良さを感じる。時々、おしゃべりの時間を欲す。しかし、一定以上の予定が発生すると、圧迫感、疲労感が高まってくる。そのため、空白時間が不可欠。自分の趣味に没頭する時間。これが私の半隠遁。半隠遁人間関係だ。手探りで実験し、結果を分析する。己の満足基準を見つける。ここでも自己の価値観を明確にする。誰とどのくらい過ごしたいのか、孤独な時間はどれ程確保するのか。時間がかかっても構わない。人生が幕を閉じるまで続ける。飽きが来るまでとことんやってやろうじゃないか。
親族
人間関係の始まり。ここから人付き合いの良し悪しを学ぶ。対人関係の訓練が幕を開ける。30歳にもなれば、大方の結論は見えてくる。親族とどのように今後付き合うのか。私の場合は、祖父母、両親、兄姉弟、甥姪、この辺りだろうか。他の親類もいるのだが、もう疎遠になってしまった。この親族関係を半隠遁に落とし込んでいく。適度な距離感が必要。俗世からは半分去る。親族とて例外ではない。徹底的に半隠遁する。会うのは年に数回だろうか。一人暮らしということもある。30歳という年齢もある。孤独に生きていきたい時期なのだ。他の人々はどれくらいの頻度で会うのだろうか。親族に特別感は持たないようにしている。期待はいつか失望、反感に変わる可能性がある。親族といえども他者。過度な入れ込みは禁物。中距離射撃を維持する。残念ながら常に家族の顔を見たいという人情には恵まれなかった。悔いても仕方ない。
友人
親族の次に人生において縁の深い関係。これまでの友人関係を振り返ってみる。どの時代も少数精鋭だった。グループには所属していたが、前に出るような性格ではない。陽気な雰囲気に合わせて生きてきた。どこかしっくりこないと思った。楽しいことは楽しい。しかし、どこかで無理をしている気がしていた。大学生でも初めはそうだった。自分を偽っていた。陽気な自分と。結局は自分本位に戻る。狭く深く。落ち着いた雰囲気で、時には面白おかしく。友人関係は大切。しかし、多すぎると私には負担だ。疲労が来る。適度な距離感、時間を確保する。私の半隠遁生活では、友人と会うのは年に一回にしている。年末年始の大型連休に全て会ってしまう。一度に事件を解決してしまう。すると、他の休日はヒトリノ夜になる。ロンリーロンリーだ。孤独な休日が誕生する。さて、そこで何をするか。半隠遁生活の実現。知的生活をじっくりと楽しんでいく。上記の多彩趣味の出番だ。さあ、半隠遁の海に漕ぎ出そう。友人との交友を大事にしつつ、孤独の時間も確保する半端者。これが半隠遁生活。半分は世間にくれてやる。半分は私が頂こう。
恋人
半隠遁生活に恋愛は必要なのだろうか。人間関係を制限することが半隠遁生活。実のところ、最近までは恋愛不要論者であった。時間もお金も苦労も生じる恋愛。そこまでして何を求めるのかと。孤独生活の方が気楽だ。自由気ままの放浪者。当て所もなく世間を彷徨う。そんな生活を理想としていた。だが、一度、恋愛の妙味を知ってしまうと変わる。酸いも甘いも噛み分ける。深い恋愛は人間関係の極致だ。数多くの苦難が来る。歯痒さもあるかもしれない。しかし、充実感、幸福感も共存している。だが、お互いの共同作戦が必要だ。時には相手のために骨を折る。向こうにも折ってもらう。持ちつ持たれつ。じっくりと歩んでいく面白さ。面白おかしくやっていく。自分の時間を確保するという半隠遁には反するかもしれない。そこで私は一計を案じた。遠距離恋愛というものだ。まずは物理的距離を取る。交流頻度は月に一度。これでどうだろうか。半隠遁生活との共闘。心身を充実させてくれる。人生の妙味を味わい尽くす。成功も失敗もある。それを面白おかしく生きていく。人生の糧にしていく。いつかはいい思い出だったと思うかもしれない。そのためにも自身の努力も必要。パートナーを選ぶ審美眼も。いつかは大きな情動も落ち着き、淡々とするおつきあいになるかもしれない。倦怠期というものだ。しかし、水の如く続く関係も悪くない。水のように静かでありながら、落ち着きと安らぎがある。そんな関係の構築を目指す。私はこれからどうなるだろうか。しかし、後悔だけは不要。行動をコツコツと。人間関係の喜怒哀楽を味わっていこうじゃないか。大いにやる。一人の深いパートナーと付き合っていく。さまざまな経験を糧に生きていく。人間関係がもたらす人生の面白さ。奇妙奇天烈な生活。兎にも角にも面白がっていこうと思う。
夫婦
結婚と半隠遁生活はどうなるか。難しい問題だ。私は結婚に熱意はない。今のところではあるが。結婚生活の妙味は知らない。結婚がもたらしてくれる果実とはなんだろうか。共同生活の面白さ。と言っても、多くの生活形態がある。多くは一つ屋根の下に共同生活だろう。同じ時間を、同じ空間で過ごしていく。そこには見えない幸福と不幸があるだろう。私のような半端者には荷が重い。自分の生活で手一杯の私。仕事帰りの疲労した心身で家族の団欒ができるだろうか。いつまでも子供の私は自己中心が抜けない。いつも自分のことばかり。兎にも角にも自分の生活第一。自分の生活を偉大にすることに苦心する。そんな人間が他者との共同生活を送れるだろうか。否。となると従来の結婚生活を改革する必要がある。しかし、他者を批判、否定する必要はない。自分の生活だけひっそりと変革していけば良いのだ。何も大手を振って世間に宣伝する必要もない。淡々と自分の求める生活に邁進する。異邦人になろうと構わない。スタスタと自分の道を行く。誰も私を気にかけない。影の生活革命。改革者になり、独裁的に変革を実現していく。では、どうするか。まずは自分の価値観を明確に。自分にとって結婚は何を意味するか。何を求め、何を不要と定義するか。じっくりと考えていく。自分の時間、空間を確保し、一定の財産と定職、趣味の時間、パートナーとの適度な距離感と充実。まとめると別居生活を核とした結婚だろう。お互い違う住居、しかし、定期的に通っていく。通い婚。大きなパーティーを開催しなくとも良い、慎ましい食事に近況の報告、充実し平穏な時間を過ごしていく。心の拠り所という感じだろうか。国家の制度に依存しなくとも良い。もちろん制度に参加することも面白いかもしれない。束縛を嫌うなら放浪も悪くない。お互いに各地を転々とし、ふらりとどこかの都市で合流し、会合を開く。定期的な会談だ。二人とも自分を持っている生活。もちろん、このような生活を理解し、実践できる人物が理想だ。価値観の押し付けは禁物。能動的な結婚生活。このような形の結婚生活もある。むしろ、独自の生活を二人で構築していく。試行錯誤し、作り上げていく。はてさて、どのような帰結を迎えるのであろうか。
パートナー
半隠遁生活とパートナー。パートナーとは何を指すか。独立した生活を互いに営む。しかし、心の拠り所とする存在。国家の結婚制度には含まれないが、一種の結婚。不特定多数の異性ではなく、この人でなければという選択。半隠遁生活者でも可能だ。しかし、心身の距離を作っても大丈夫ということが必要。半分は孤独生活なのだから。孤独であるはずなのに、パートナーがいる。私も人間だ。時には心の充実に惹かれてしまう。浸りたくなるものだ。そういう時に心の支え、援軍になってくれる人物がいると心強い。かと言って、自分の利だけいただくというのはけしからん。自分も献身を差し出すのだ。自分本位であっても良い、しかし、関係を構築したいのなら提供も怠らない。天秤を平衡に保つ。でなければ崩壊の道を行くだろう。もちつ持たれる行こうじゃありませんか。苦難も安楽もあるだろう。共に味わう機会も悪くない。親しい友人と食事をしたくなる時のように。
子供
半隠遁者と子育て。さあ、難関の到来だ。熟考の時間。半隠遁者にとって子育ては厳しい。子育ては自分の時間、お金をほぼ全て投入することになる。自分の時間を確保する半隠遁とは相性が悪い。お金も余暇に大半を使うため、厳しい家計状況になる。ベビーシッターや保育所、学校を使えば時間は確保できるかもしれない。しかし、こちらも労働の時間がある。労働後、家族団欒の時間を作れば、それで1日が終わる。半隠遁生活もあったものではない。試行錯誤でなんとかなるだろうが、常に家族の将来を気に掛ける必要がある。自分本位の生活を目指す半隠遁では十分に職責を全うできない。現時点では、子供を諦めている。自分は独身・子供なしでこれからも生きていく。将来、どこかで後悔するかもしれない。だが、今すぐに結婚・子育てをすると必ず後悔する。どちらを選ぶかだ。結局は選択。一挙両得はできない。残念だが現状で有効な解決策は見つかっていない。今後、新たな発見があれば取り組んでみようとは思う。自分の生涯が終わるまでに見つかれば良いが。
健康
半隠遁者と健康。健康にあらずんば半隠遁にあらず。平家物語だ。半隠遁生活は意外と活発な生活だ。学問に取り組み、余暇にうつつを抜かし、運動も積極的に行う。旅行で国内外に足を伸ばすこともある。となると健康はやはり欠かせない。老いも若いも関係ない。どの年齢でも健康であり続ける。では、健康のために何が必要か。まずは、睡眠・食事・運動だろう。これらが三位一体となって健康が生まれてくる。個人的には睡眠がうまく機能すれば全てが噛み合ってくる。睡眠時間が短いと、どうしても集中力、忍耐力がなくなる。継続が難しくなる。睡眠をとにかく確保すること。これは社会人になってから痛感した。睡眠こそ神であると。他の全ての活動を作り出す事ができる。創造主でもあるのだ。健康は1日にしてならず。健康の道も一歩からだ。コツコツと積み上げて健康を維持する。睡眠食事運動が機能すれば、他の付属物も綺麗に回転する。人間関係、恋愛。頭が冴えてきて、問題に直面しても解決策が生まれてくる。生命力を日頃から養っておく。さすれば半隠遁も幸福な生活となるだろう。
お金
半隠遁者とお金。勤倹貯蓄に行きたまえ。半隠遁者にとってお金とはなんだろうか。生活費、趣味、貯金。これくらいにしか使わない。各種支払いはある。だが、一定の生活状況、趣味の継続、将来への貯蓄・投資が習慣化できていれば満足だ。ということは、莫大な、将来使いきれないようなお金は稼がなくても良い。もちろん豪勢な生活ができれば面白そうだ。だが夢想のままで置いておくのもまたおかし。お金を稼ぐための時間を、勉強に、趣味に、パートナーとの時間に置き換えていく。さまざまな活動に振り分ける。バランスよく人生を楽しんでいく。仕事、趣味、人間関係、恋愛。経験をたくさん積んでいき、思い出を構築していく。そのためには多少のお金は必要。その上限を決めておくことで、全ての時間をお金稼ぎに費やすこともなくなる。ではどれほどの年収が必要か。私は600万円あれば良いと思っている。個人的な意見になるが。趣味も貯蓄も恋愛も。これくらいの年収があれば満足な生活ができると感じている。ゆえに、現在、自分の生活に大変満足している。20代半ばからこの半隠遁生活を実践してきたが、徐々に完成に向かっている。この先、どう変化するかはわからないが、その都度、半隠遁生活を改革していく。上記のような項目を淡々と面白がりながら続けていく。お金に飲まれないように、かといってお金をぞんざいに扱わないように。お金は人生に必要なものには変わりない。
夢
半隠遁者の夢。世間と距離をとりつつ、夢想も忘れない。時々の夢想実現が面白おかしくなってくる。自分の目標や夢を考えてみる。やりたいことリストとでもいうのだろうか。少し先に楽しみが待っていると元気が出る。定期的に自分の生活を見直し、少しばかり刺激を入れてみる。未経験の分野の本を読む、映画アニメをみる。レジャー、スポーツ、芸術に興じてみる。体験を楽しむ。室内でも室外でもいい。自分が体験したことのない未知に飛び込んでみる。そうすると意外と人生が充実し始める。私は芸術分野、理系分野に手を出し始め、化石化していた恋愛経験を前に進めてみた。人生が少しばかり面白がれるようになった。能動的な活動が人生を変えるとはよく言ったものだ。自分の裁量の内にあるからだろう。自由を手にしているからこそだろう。半隠遁生活は自分の時間を確保すること。自由を少量獲得することだ。その時間を未知の経験に振り分けていく。もちろん従来の勉強、趣味も欠かさない。理想の半隠遁生活を絶えず模索していく。型はないが、決まりもない。自分で一から粘土を捏ねていく。これからも半隠遁生活が私を楽しませるだろう。孤独と少しばかりの人間関係、趣味が楽園を作り出す。
自室の楽園化、