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半隠遁生活者の手記

手記公開について

この手記を公開することに躊躇した。個人のプライバシーであり、私生活を世間に公表することは宜しいとは思わない。しかし、この手記に公開により、少しでも思想に共感した人々の糧になればと思ったのだ。実際、亡くなった本人も私物はどのように扱っても良いという遺書を残している。この遺書に従い、多くの私物は処分されたが、この手記は知人の捜査関係者から提供された。遺書の中に、人々の生活の利益になるのであれば、公開しても構わないという記述があった。私は捜査関係者に許可をもらい、慎重に中身を検討した結果、この手記を公開することにした。この手記が少しでも多くの人の人生に生かされることを祈る。

フリージャーナリスト蒲生

半隠遁者生活者の手記

半隠遁生活とは

半隠遁生活とは何か。世間的な付き合いを減らし、自分の時間を確保、自分の活動に没頭すること。端的にいうとこうだ。世間的な付き合い=仕事、人間関係。自分の時間=自由時間。自らの活動=?。これがかなり曖昧な表現。ここは、それぞれで定義するしかない。趣味、人間関係(親族、友人、恋人)を充実させる活動など。ここは主観で判断される所。半隠遁生活を営みながら、改良していくのが望ましいだろう。これが半隠遁生活。完全な隠遁生活だと、人間関係が完全に切れてしまうため、私は継続できなかった。中途半端な隠遁生活で、半隠遁生活だ。仙人のようになれなくとも、半分で意外と自由な時間は増える。人付き合いを半減させることで、反対に人付き合いの時間が面白くなる。それぞれ理想の半隠遁生活を夢想し、実践していくのがいいだろう。

価値観の見直し

人生を解剖していくと、時間を費やしている要素が見つかる。それぞれ違いはあるが、類似性は見つかる。仕事、趣味、人間関係(家族、友人、恋人、パートナー)、健康、お金、結婚、子育て、夢。人間の悩みが発生しやすい事柄。半隠遁生活では、これらの事象を深掘りし、自分がどれに、どのくらい重要性を置き、どれを縮小するのかを考える必要がある。また内省の時間。半隠遁生活では、内省の時間が多くなる。孤独の時間が増えると、どうしても思索に費やすことになる。孤独を共にするご利益。一に内省、二に内省、三四内省、五に内省。独自の半隠遁生活を構築する。楽園を作り上げる。

自らの死

私はいつか死んでしまう。これは真理。不動の摂理。となると、時間は有限だ。人生でできることは限られてくる。時間を大切に。そんなことは知っている。しかし、できない。なぜだろうか。どうしても必要のないものに時間を費やす。私が死ぬということを毎日考える。少しはマシになるだろうか。自分が人生で成したいことは何か。もう30年程生きてきた。30年。なかなかに長い時間だ。私はいつ消えるか分からない。あとどれくらいの時間が残されているのか。自分の価値観を明確にし、欲に従うのが最良。大きな欲望に時間、お金、思考力を使う。30年生きてきた軌跡を振り返るとよく分かる。自分が多くの時間を費やしてきたものが目印。しかし、私は夢を多く捨ててきた。諦めてきた。人生に満足しているか。どうだろう。まだやりたいことは残されている。もう少しばかりこの世を楽しむことにしよう。

仕事(本業)

食うために働く。半隠遁生活と知的生活と趣味生活のために働く。工場労働者に仕事のやりがいなどない。やりがいはないが苦痛はない。工場労働という短調さをいかに面白がるか。空想に限る。自分の立場をめまぐるしく変える。戦時体制の工場が一番良い。最前線の兵士のために物資を製造する。空想的愛国心のために働く。少しばかりの給金を受け取る。孤独な生活。帰宅後もお迎えはない。芯と静まった自室。沈黙の暗室。しかし、これがいい。自活できているため、自尊心は傷つかない。他者との比較?SNSは全て削除してしまった。もう十分楽しんだ。なかなかに面白いSNS人生だった。これからは半隠遁生活。情報はネットニュースがある。毎日繰り返しの労働。何か一つ新しい空想を生み出す。新鮮さを殺さないことだ。全てが同じだと月日が一瞬になる。これはよろしくない。どうせするなら面白がる。面白がりながら給金を拝領。雇われのみでも、案外面白い。安定は滅亡の一歩。しかし、所々で工夫を取り入れる。毎日に少しばかりの新しい風。好きな労働ではないが、労働は好きだ。興味はなかったが、働いていると面白くなってきた。いや、自分が工夫して面白くしたのか?お給料は、生活費、趣味費、貯蓄費だ。遊びにもお金を費やす。将来への貯蓄も同じだ。経済的余裕は心の平穏をもたらす。

キャリアと出世

半隠遁者。つまり自分の時間の確保。仕事の時間はできるだけ短く。残業も最小に。しかし、成果は出す。仕事の手は決して抜かない。勤勉な半隠遁者であるべきだ。大いに働き、大いに半隠遁する。つまり、半隠遁者は出世は望めない。平社員で行くのだ。組織的には、あまり有能に見えない。だが、貢献は怠らない。経済的には恵まれないかもしれない。一定の収入を確保することが狙い。本業は、キャリア、出世を望まず、副業で創作的な活動に勤しむ。工場労働者では、スキルの習得、熟練は難しいかもしれない。そのため、副業でそれを補う必要がある。副業については、後の項目で考えてみたい。半隠遁者の仕事は、安定した、一定収入を手に入れるために働くこと。手は抜かない。組織には貢献するが、犠牲にはならないこと。

副業

本業では、安定的な収入を得る。もちろん、やりがいもあればいい。楽しさ、愉快な人間関係。本業でも多くを望めるかもしれない。私はそこそこを求める。まずは、最低限である安定収入を得る。それを達成して、他が手に入れば尚良し。できなければ、まあそれまでと諦める。多くを望む人生もいいが、手に入らないときに心が疲れる。無論、多くを望まないからこそ、多くを手に入れられないという批判もあるだろうが。では、副業では何を求めるか。私は、創造性、をテーマにしている。何か自分で作品を生み出す。コンテンツの種類はなんでもいい。自分の内側から生じたものを表現する。形はその都度考える。芸術系を私は好む。音楽、美術。クリエイターというのか。小さい頃、ミュージシャンや画家に憧れていた。しかし、憧れのまま終わってしまったが、最近は、空いた時間で作品を生み出している。手を動かし、試作する。理論を学び、応用する。試行錯誤の毎日。毎日、少しばかりの活動だが、これらが活力を生み出す。充実した時間を提供してくれる。本業で苦痛が生じたときも救ってくれる。次の本業の意欲を掻き立てる。もちろん副収入があれば、嬉しいが、それよりも想像的活動の利益が大きすぎる。精神的な浄化が最大の利点だ。お金も稼ぐことができれば満点だろう。これからも副業の探検は続く。他の分野に手を伸ばすこともできるから。

いつまで働くか

半隠遁者というと労働を毛嫌いしているのでは?と思われそうだ。案外、私は労働を苦痛と思っていない。長年働くのも悪くないと思っている。生涯労働でもよさそうだ。肉体労働となると難しいが、頭脳労働なら少しばかり長く働けそうだ。体が許すまでは肉体労働、それ以降は頭脳労働で少しばかりの小銭を稼ぐ。私は今30歳。50年後の社会はどうなっているだろうか。そもそも労働が現在の形で残っているかも分からない。AIがどこまで発展するのか。さらにAIの次の存在が生まれてくるのか。もし、80歳まで生きると考えると、あと50年の労働。ちまちま稼ぎながら、趣味生活を送る。理想型ではあるが、どこまで実現できるか。早死にしてしまえばお仕舞いだがね。今もところは、生涯労働の方針でいく。社会の変化を見ながら、計画修正を行う。長生きできるといいがね。

転職

半隠遁者として、転職をどう考えるか。今日、年功序列、定年雇用が揺らぎつつあるという。転職を経て、経歴を昇華させる。スキルを身につけ、常に学び続ける。情報収集を怠らず、自己成長を目指す。経験値を上げて、レベルアップするのは面白い。ゲームと同じだ。その方法の一つとして転職。スキルや年収の向上が見込める。人間関係の改善にも。うまくいけば人生が大きく展開するだろう。では、半隠遁者は?私は転職はするつもりはない。もちろん今のところだが。面白そうだとは思うが、今の環境に安住しようと思う。そこそこの年収、そこそこの人間関係、多めの残業。総合的に見ると悪くない。自分の趣味時間も作れている。休日出勤も多いが、特に心身に圧迫感はない。淡々とこなしている感じだ。今の会社が今後どうなるか分からないが、現状は転職はなし。いずれその時は来るかもしれないが。環境を変えることで、人生が変わることもあるそうだ。冒険心の強い半隠遁者は試されると良いだろう。

趣味

余暇の時間。人間の休息。仕事の疲れを癒す。余暇を求めない人間は少ない。むしろ余暇のために働くという人も。私はどうだろうか。同じだ。余暇の時間が面白くて仕方がない。学生時代は、余暇を持て余した。愉快な過ごし方を知らなかった。社会人になると変わる。趣味を求めるが、時間がない。労働にほとんどの時間を使う。食うためだ。金を安定的に稼ぐ。心の平穏を保つために。余ったお金で余暇を楽しむ。もっとも、昨今はサービスが充実しており、無料でも快楽は追求できる。むしろ、どれだけ安く快楽を感じられるかも重要そうだ。小さく暮らす。ミニマリストではないが、あまりに身の丈の合わない余暇は身を滅ぼす。一度、高額な快楽を知れば後戻りは難しい。私も経験がある。最近では、支出の先を限定し、集中的に資金を投下している。なかなかに面白い。大金持ちではないが、今日の快楽コンテンツと時たまの高額余暇、そして知的な遊び。これだけの趣味があれば人生を謳歌できる。と、私は信じている。昔の王侯貴族よりも豊かな暮らし。ありがたいことだ。この幸福を噛み締めつつ、世の中を面白がりながら生きていく。大いに労働し、大いに遊び、学び、そして、死んでいく。有限な人生を噛み締める。そのためにも趣味の充実は欠かせない。私の趣味は孤独物が多い。誰にも会わずに、コソコソと趣味を続ける。SNSに投稿することも無くなった。そもそもアカウントを全て消してしまった。共有することに少し疲れた。もちろん続けているものもあるが、10分の1ほどに減ってしまった。SNSの時間を趣味に割いてしまえば、さらに人生は充実するだろう。半隠遁生活に趣味は欠かせない。

知的な趣味

社会人になってから、勉強の面白さに気がついた。学ぶことの面白さ、学び直す、新しいことを知る。これがなかなかに快楽だ。学生時代は、強制感や焦燥感から勉強していたが、今は純粋な理由、内側から湧いてくる好奇心が強い。好奇心とはなんとも良いものだ。だが、悲しいことに時間が少ない。後悔しても仕方がない。これからの時間を大切にする。じっくりと時間をかけて学んでいく。誰にも、何にも強制されない。自分で勝手に学ぶ。知的な半隠遁生活。喜ばれることはないが、自分は喜ぶ。自分のための、自己中心的な学び。面白い。人生が充実してくる。結局は人生の幸福に至る。もっと知りたいことがある。1を知れば、100をさらに知りたくなる。可笑しな性格だ。知的生活。知の連鎖が起こる。心身が健康であれば、生涯学び続けられる。お金もそこまでかからない。むしろ図書館に行けば全て無料。ありがたい世の中だ。読書、フィールドワーク、創作活動。どれも私を快楽に導く。精神的な快楽。肉体的とは違う面白さ。とにもかくにも面白がる。自分なりの工夫をして面白がる。もっと面白い知的学び方があるかも知れない。実験は続くだろう。

高額余暇

無料で行う知的余暇は素晴らしい。一方で、お金の使い方も知ること。黄泉の国には持っていけない。ということは、ある程度、体力がある時期に思い出を作る事。私の高級余暇は旅行だ。世の中には、様々な高級余暇がある。飲食、ファッション、車、住宅、芸術などなど、お金を使うところは数多ある。その中から、自分の思い出を作っていく。ここは自分の価値観を明確にする。どこに使えば幸福になるか。充実感があるか。私は旅行くらいだろうか。数少ない友人と少しお高めの宿に泊まってみる。そこで、少しお高めのつまみと酒に酔う。語り合うだけで面白い。いい思い出になっている。これからも少しづつ思い出を増やしていく。年に何度もできることではない。しかし、毎日お金を稼いでいる。時には使うことも学ぶこと。振り返ってみると、案外、お金を使っていない。メリハリをつけて使っていきたい。最近では、オーケストラの鑑賞や美術展に足を運んでいる。特別展などでは、意外と値が張る。旅行、芸術。そしてAI。近頃のAIは進化が著しい。イラストも音楽も映像も作成できる。事務作業や検索、人間の力を凌駕している。人間が人工知能に学ぶ時代。ここに少しお金を使っている。知的趣味にも分類できそうな気もする。とにかく、高級余暇は、時々行う。常に求めると飽きが来る。稀にで十分だ。大金も持ち合わせていないということもあるが。

室内余暇

室内で行う余暇。大型連休などは旅行に出かける。しかし、単休での旅行は忙しなくなる。その時は室内余暇を行う。お金のかからない余暇。できるだけ無料のコンテンツを味わう。知的余暇や高級余暇でお金を使うことになる。バランスを取るために、室内では節約すること。そうすれば、お金のメリハリがつく。無駄遣いもなくなる。使うべきところにたっぷりと使う。では、室内余暇は何をするか。これは知的余暇に共通する部分もある。まずは読書。新品や中古を購入しても良いが、ここでは図書館を使う。無料だからだ。図書館で面白そうな本を漁る。いい時代になった。初めに図書館で感触を確かめる。お気に入りにしたいなら購入する。しかし、手元に置きたい本は稀だ。自分の興味のある分野が多い。歴史、文学、政治、経済。時には理系分野にも手をだす。好奇心を刺激するため。天文学、物理学。数学も試してみたい。現実世界で学問がどのように応用されているのか。そうだ、応用だ。学問は応用してこそ真価を発揮する。学生時代は勉強の面白さに気づけなかった。忙しい社会人になってから知る面白さ、皮肉なものだ。他の室内余暇は筋力トレーニング。頭脳の鍛錬の後は、肉体の鍛錬。心身を鍛えることで、生活も充実してくる。しかし、ボディービルダーになるわけではない。ほどほどにしておく。すると、案外、習慣化できる。勉学に疲れてくると筋トレ。肉体疲労の次は、頭脳酷使。これの連鎖で、人格を育成していく。どこを目指しているのかは知らない。なんとなく自分の欲望に従う。知と体の鍛錬をこれからも続ける。

室外余暇

散歩。自然観察。これも高級余暇、知的余暇の反動で無料志向になっている。室内での活動に閉塞感を感じると外へ。外気を取り入れるだけで快楽。同時に体を動かすため、健康にも良い。良い事しかない。室内では、知を頭に詰め込んでいる。それを適度に整理していく。凝り固まった頭をほぐす。考えつつも、時には無になる。無為自然だ。すると、不意に考えがまとまる。新しいアイデアが生まれる。知の連結が発生する。住宅街をスタスタと歩く。郊外、山間部へと向かっていく。自然を眺めるため。田舎生活では、ここに利点がある。自然がすぐそばにある。遠足感覚で自然を感じに行く。自然の雄大さの前では、悩みは失せる。頻繁に鑑賞することで、愛着も湧く。リラックスの最良の方法かもしれない。やめられない余暇だ。

未知の余暇

これまで経験したことのない趣味に手を出してみること。これまで様々な余暇について話してきた。習慣化で固定するのも良い。しかし、マンネリ化の可能性もある。時々、新しい風を吹き込む。それが未知の余暇、未知の趣味だ。開拓使になること。遣唐使のように、異国の文化を取り入れる姿勢。好奇心も生まれるだろう。室内、室外それぞれで行う。私は芸術に関心がある。水墨画や陶芸に挑戦してみたい。室外では乗馬が気になる。スノーボードも良さそうだ。とにかく、手を出してみる。時間は意外とある。老いると体力が衰える。それまでに活動的な趣味に取り組む。老後は改めて、知的活動、知的余暇でもいい。

余暇時間の確保

休日、大型連休、平日の夜、

休日になんとなくしている行動を削減してみる。

余暇と人間関係

独りの余暇と他者との余暇を区別してみる。

人間関係(家族、友人、恋人、パートナー)、健康、お金、結婚、子育て、夢。