第一回
鴨長明──「持たない」ことで、人生は軽くなるのか。所有への問いかけ。
序章
平日の夜、
コンビニで買った惣菜を
レンジに入れているとき、
ふと、ニュースの音が
耳に入ってきます。
誰それが結婚した。
誰それが出世した。
住宅ローン金利がどうだ、
老後資金がこうだ。
画面の中の出来事は、
自分とは直接関係が
ないはずなのに、
なぜか胸の奥に、
薄い埃のようなものが
溜まっていきます。
独身であることそのものが、
つらいわけではない。
ただ、
「何かを持っていない気がする」
そんな感覚だけが、静かに残る。
今日は、そんな感覚を
抱えたまま生きていた
一人の人物を、少しだけ
覗いてみようと思います。
第一節
鴨長明という、不思議な隠遁者
鴨長明は、平安末期から
鎌倉初期を生きた人物です。
代表作は『方丈記』。
日本史の授業で名前だけは
聞いたことがある、
という方も多いでしょう。
彼は、
官職にも恵まれず、
人間関係にも疲れ、
最終的に京の都を離れます。
そして、
自らの住処として選んだのが、
一丈四方の小さな庵でした。
結婚もしていません。
家族を持つこともありません。
社会的に見れば、
決して「成功者」とは
言えない人生です。
しかし、彼はその小さな庵で、
こんな言葉を書き残しています。
「ゆく河の流れは絶えずして、
しかも、もとの水にあらず」
すべては流れていく。
だから、しがみつく意味はない。
これは諦めではなく、
世界の仕組みを
冷静に見た結果でした。
第二節
「持たない人生」は、逃げだったのか
鴨長明は、何も
持たなかったわけではありません。
楽器を愛し、書物を読み、
自然の音に耳を
澄ませる時間を持っていました。
ただ、
「失うと自分が壊れるもの」を、
意識的に人生から外したのです。
現代で言えば、
- 会社の評価
- 世間体
- 「普通」という物差し
そういったものに、
人生の重心を置かなかった。
これは、逃げでしょうか。
むしろ彼は、
依存先を選び直した人
だったように見えます。
社会から完全に
離れたわけではない。
ただ、人生の中心に
「社会」を置かなかった。
この距離感が、
彼を壊さずに生かしました。
第三節
独身サラリーマンが感じる「見えない重さ」
現代の独身サラリーマンが
感じている重さは、
おそらく生活
そのものではありません。
仕事は回る。
一人暮らしも慣れている。
休日も、それなりに楽しめる。
それでも、
どこかでこう思ってしまう。
「このままで、いいのだろうか」
その問いの正体は、
実は生活の問題ではなく、
座標の問題です。
他人の人生を基準に、
自分の位置を測ってしまう。
鴨長明は、この
「比較の座標」そのものを、
人生から外しました。
だから彼は、小さな庵でも、
心をすり減らさずに生きられた。
第四節
独身は「未完成」ではない
ここで、無理に
こう言うつもりはありません。
「独身でも幸せになれる」
そんな断言は、
むしろ雑音になります。
ただ、
鴨長明の人生を見ていると、
一つだけ、静かに
見えてくることがあります。
人生は、何かを足して
完成するものではない
ということです。
削ることで、軽くなり、
続けられる形になることもある。
独身であることは、
欠落ではなく、
設計の余白なのかもしれません。
終章
答えを急がなくていい
鴨長明は、「こう生きよ」とは
書きませんでした。
ただ、
自分がどう生きたかを、
静かに記しただけです。
それを読んだ私たちが、
何を感じるかは、
それぞれでいい。
今日は、
人生を変えなくても構いません。
ただ、「自分は、何を
重くしすぎているだろうか」
そんな問いを、胸のどこかに
置いておくだけでいい。
答えは、急がなくても、
逃げてはいきません。
我々には、独身という名の
余白が残されているのですから。
