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半隠遁者のベトナム出張 第2部【小説】

【現地到着から採用面接、観光、帰国まで】

半隠遁者のベトナム出張 上巻 発売中!

【1】機内への侵入

ハノイ行きの飛行機は、定刻通り出発予定とのアナウンスが流れた。空港の雑踏に埋もれた機械的な声が、まるで巨大な工場で流れる昼休み終了のサイレンのように聞こえる。これから数時間、私たちは「労働」と「余暇」のあいだに宙吊りにされる。

今回のフライトでは、座席は互いに離れた配置になっていた。これは同行のトンさんの気遣いによるものだろう。数日間、四六時中顔を突き合わせる旅程を考えれば、機内でまで同じ相手と呼吸を合わせる必要はない。むしろ、孤独の時間こそ人間にとっての救済だ。誰とも話さない時間が私を深海へと誘って行く。今後の人生についての思索を深めていく。

私は心底ありがたく思った。さすがは百戦錬磨のトンさんだ。管理団体の理事長という肩書きに恥じず、人の心理の隙間に水のように入り込み、適度な距離を確保してくれる。水のように千変万化し、どのような環境でも適応していく生存本能。これができるからこそ、彼は「やり手」なのだろう。私なら、こうした配慮をする前に根を上げてしまっているに違いない。戦場から逃走する逃亡兵となるだろう。そして、軍法会議にかけられ処刑されていく。

搭乗アナウンスに従って、私たちは順々に鋼鉄の筒へと吸い込まれていく。ベトナム航空のエコノミークラス。庶民の檻。機内の座席は工場の作業台と同じだ。割り当てられた区画に腰を落とし、四時間という生産工程に耐える。成果物はハノイへの到達、それだけだ。各自の作業内容は一任される。今回のフライトではどのような工程を組んでいこうか。飛行機の中でさえサラリーマン根性が抜けない自身に少しだけ苦笑いした。

昼食を挟むとはいえ、四時間は長い。窓の外には蒼穹、眼下には雲海。だが、それらは私を解放しない。むしろ「空を飛んでいる」という非日常のはずが、座席に縛られた瞬間に「地上の労働」となんら変わらぬ日常に転化してしまう。航空機とは奇妙な存在だ。自由の象徴であるはずなのに、乗客に強制されるのは窮屈な姿勢と不自由な移動だ。

リリエンタール以降、人類は空を飛ぶことに躍起になってきた。ライト兄弟もそうだ。今では空を飛ぶことに何の感動も疑問もない。平気で宇宙に行く時代だ。飛行に憧れた人類が到達したのは、長時間にわたって鋼鉄の箱に収容される禁固刑だ。

ふと、私はこのフライトに小さな社会の縮図を見た。ファーストクラス、ビジネスクラス、そしてエコノミー。座席がそのまま階級を表している。そこには努力や人柄の余地など一切ない。単純に金銭が支配する。資本主義の真髄がここに凝縮されている。

フランス国民はこの現状をどう思うだろうか。大革命を経て王権を断頭台に送り、平等を掲げた民衆が、いまだ鉄の檻の中で分断されている。頭上には「自由・平等・友愛」という標語が霞のように浮かんでいるのに、足元ではビジネスクラスとエコノミークラスの差が歴然と存在する。雲海のように掴み取れない虚像になってしまっている。

血と硝煙で築き上げた共和制は、結局のところ、座席の広さとワイングラスの厚みで再編成されてしまったのか。マラーやロベスピエールが、この機内を見たら何を言うだろう。「人民の勝利だ」と讃えるのか、それとも「ブルジョワの衣替えにすぎぬ」と断罪するのか。

鉄と血の時代を再び呼び戻す必要はないのかもしれない。革命の理念は飛行機の座席表にまで浸透していない。だが、逆に言えば金銭で座席を買い替えることができるという現状は、身分の固定化よりも幾分ましな光景かもしれない。血統や特権ではなく、クレジットカードの限度額で身分が入れ替わる世界。現代人はそれを「平等」と呼ぶのだろう。

私はエコノミーの狭い座席に腰を沈めながら、ルソーが「人間は自由なものとして生まれた」と言ったことを思い出す。なるほど、自由ではある。自由に選んだ結果、この窮屈な座席で4時間を過ごす羽目になっているのだから。もはや私はタブラ・ラサではない。神の手から俗界へと舞い降りたのだ。選択の自由という名の鎖。そういえばサルトルもフランス人ではなかったか。自由の刑。そう考えると、隣の座席の肘掛けの取り合いもまた、近代自由主義の縮図に見えてくる。

私は当然ながら労働者階級、すなわちエコノミーに身を置く。王侯貴族のような席には座れない。だが、資本主義は残酷であると同時に滑稽でもある。努力と偶然の積み重ねで、明日はビジネスクラスに座れる可能性もある。いや、もしかすると一生座れないかもしれない。

それでも人々は「のし上がれる」と信じ、働き続ける。まるでベルトコンベアに乗せられた工員のように、今日も機内で規律正しくシートベルトを締める。だが、あくまでもそれは資本主義という舞台の上だけの条例。舞台が変わると戦術も変化を生む。自分がどの舞台にいるか、どのように生きていきたいかを熟考する必要がある。

思えば歴史上の多くの思想──社会主義、共産主義、独裁主義──は、この資本主義の滑稽さを是正しようとして生まれては消えていった。だが結局のところ、私は日本という自由資本主義の国に生まれ、今日もこの機内で「等級に従って座る」ことを受け入れている。それを滑稽と呼ぶべきか、自然の摂理と呼ぶべきか。答えは曖昧なままだ。この等級と囚人番号の違いはなんだろうか。

ハノイまでの四時間。鋼鉄の箱に押し込められ、海を越え、山を越え、国境を越えていく。その道中で私が得るものは、せいぜい味気ない機内食と、哲学的な虚無感くらいだろう。それでも、虚無に価値を見出そうとするのが人間なのだ。ムルソーのように「太陽が眩しかったから」と言い訳しながら、私もまた、この不条理なフライトを受け入れていくのだ。

【2】初老の紳士風ベトナム人

乗務員の挨拶に迎えられながら自身の席を目指す。自分の席に腰を下ろし、シートベルトを締める。窓の外では滑走路が陽光を浴びて白く光り、まるで巨大な工場のベルトコンベアのように、飛行機という鋼鉄の製品が定刻通りに流れ出していく。

航空会社のスケジュールもまた、巨大な製造ラインの一部に過ぎない。サラリーマンの朝の出勤と同じく、遅延は許されない。だが同時に、そこには人間的な自由も創造性もない。私はいま、巨大な歯車の中で回されるボルトの一つに過ぎないのだ。

飛行機は定刻通りに離陸した。快晴。雲一つない青空を突き抜け、しばらくして揺れもおさまり、安定飛行に入った。つまり、ここからが空中の昼休み。機内サービスという名の慰労会が始まる。CAたちは笑顔を浮かべたまま、工場の検品係のように通路を行き来し、ドリンクという報酬を労働者たる我々の前に差し出す。

私は無難にアップルジュースを選んだ。濃厚でも薄くもない、なんとも中庸な味が、かえってこの不条理な時間を際立たせる。ひと口飲むと、喉の奥にひやりとした爽快感が広がった。気がつけば、それだけで一つの仕事をやり遂げたような錯覚に襲われる。まるで工場の持ち場でボタンを一つ押し、今日も無事に製品を流したぞと胸をなでおろす瞬間のようだ。

ぼんやりと窓の外を眺めていると、不意に低い声が横から投げかけられた。隣の席に座る初老の男が、私に向かって何事か話しかけていたのだ。しわの刻まれた顔に濃い眉毛、小柄ではあるが多くの経験を積んできたことを匂わせるような風貌だった。深い皺は、ハノイの湿度よりも長い時間を刻んできた証拠だろう。皮膚に染み込んだ煙草と魚醤の匂いが微かに漂い、妙に安心させられる。瞬時に気づく──これはベトナム語だ。久しぶりの実戦に思わず冷や汗が出る。大学時代、第二外国語として学んだ記憶を必死に掘り起こしながら、私はつっかえつっかえ返答する。

「……ベトナムは、初めての訪問です。」

すると、初老の男はにやりと笑い、会話を続けた。どうやら彼は送り出し機関に実習生を紹介する、いわばブローカーのような存在らしい。技能実習制度を骨の髄まで知り尽くした語り口は、どこか胡散臭さを漂わせながらも、同時に知性とユーモアを忍ばせていた。

「日本の工場は、規律が厳しい。だが、我々の若者は、そこに希望を見出すのです。」

「それは立派なことですね。ただ……規律は時に檻のように息苦しいですよ。」

「そうですな。しかし、檻の中でも成長する獣は強くなる。自由すぎる獣は、すぐに飢えて死ぬ。どちらの獣になるかは各々の自由。」

会話の端々に、不穏さと哲学的な響きが交錯する。彼の手首には分厚い金時計が光っていた。随分と羽振りがいいようだ。制度の闇を食い物にしながらも、どこかで合理と不条理を弁えているのだろう。私は再びアップルジュースを口に含みながら思った。──この男と私の違いは何だろうか。私は労働者を送る側に加担するただの歯車、彼は歯車同士を繋ぐ潤滑油。どちらも同じ機械の中で擦り減っていくだけの存在ではないか。

「あなた、日本人にしてはベトナム語が上手い。どこでベトナム語を?」

「恐縮です。大学の第二言語で学習していました。ただ、ブローカーと会話する訓練は受けていませんから。」

「ははは、訓練のない会話が一番面白いものです。こういう仕事をしていると杓子定規な会話に飽き飽きしてしまいますからな。特に日本人は堅い挨拶がお好きだ。」

初老の笑い声が、機内のエンジン音に溶けていった。日本人への少しばかりの皮肉を聞きながら、ベトナムという国の影を、まだ到着前から垣間見た気がした。この制度には私の知らない闇がまだまだある。現地ではその闇を垣間見ることは難しいかもしれない。いつだって真実は隠されて行くものだ。

「初めてのハノイですか?」

「ええ、そうです。」

私は素直に頷いた。

「そうですか。ハノイは美しい街ですよ。ただし、あなたが“美しい”と呼ぶ基準にもよりますが。」

言葉の端に毒があった。まるで美しさという概念そのものを疑っているようだ。

「基準は曖昧ですからね。日本でも、工場の煙を“経済の美”と呼んで喜んでいた時代がありました。今では排煙規制のおかげで、煙が少なくなるほどに不安を覚える工場経営者もいるでしょう。」

彼は私の皮肉を聞いて、皺の奥に埋め込まれた眼を細めた。

「なるほど。あなたは哲学者ですか?」

「いいえ、ただの労働者です。魚を捌いて、味をつけて、パックに詰める。知的生産とは程遠い仕事です。」

「それでも哲学は可能ですよ。プラトンは市場を歩きながら、マルクスは工場を見学しながら考えました。労働は哲学の母です。」

私は頷いた。確かに、うちの工場でも労働者はよく哲学している。なぜ給料は上がらないのか、なぜ上司は太るのか、なぜ人は働くのか──。実に形而上学的な議論だ。

「あなたの国は不思議です。」

と初老の男は続ける。

「戦争では負けたのに、いまや我々に工場を持ち込み、人を送り込み、教育まで施している。勝ったのか、負けたのか、分からなくなる。」

「勝った者も負けた者も、結局は労働者になりますよ。勝者は労働者を安く使いたい。敗者は働き口を求めて安く働く。どちらにせよ汗を流すのは同じ人間です。いずれにせよ資本主義という舞台の上で踊る舞子のような存在です。」

「ふふ、そういう考え方はベトナム的ですね。いや、ベトナムだけではないか。資本主義人的思索といったところか。」

一人で自問自答している自分が可笑しくなったのか、彼は笑いながら、機内サービスの温い水を一口すすった。

「あなたは、人生に勝ちたいですか?」

「勝ち負けに興味はありません。ただ、無駄に苦しまずに、無駄に楽しめれば十分です。」

「ショーペンハウアーのようなお人だ。人生を何度も周回したような台詞回しだ。確かに無駄こそ人生ですからね。」

その言葉には、奇妙な説得力と知性とユーモアがあった。これまで積み重ねてきた教養の産物だろうか。

「そういえば、フランス人はこの現状をどう思うでしょうね。」

私は少し考えて口に出した。

「革命を成し遂げた国なのに、座席ひとつで階級差が復活している。『人間は平等である』と高らかに宣言した割に、今もエコノミーとビジネスとファーストの格差に揺れている。結局、階級は形を変えて温存されているのかもしれません。」

「ええ。だから彼らはワインを飲んで忘れるのです。ベトナム人はビールで忘れます。日本人は何で忘れるのです?」

「焼酎ですかね。あるいはテレビのワイドショーで他人の不幸を眺めるとか。」

二人で乾いた笑いを漏らした。

「日本はまだまだ人手不足ですか?」

と彼が問う。

「ええ、慢性的に。求人を出しても応募者すら来ません。」

「ベトナムも似たようなものです。ただ、こちらは若者が多い分、仕事を求めて外へ出るのです。ベトナムの外貨稼ぎは海外の出稼ぎ労働者が大きく貢献しています。昔からそのような伝統があるので、若者も海外に行くことを躊躇しません。仕送りのお金で内需が拡大し、経済が発展していく。いずれは出稼ぎの規模は縮小するでしょうが根絶はしないでしょう。」

彼の分析は鋭利な刃物のようだった。現状を正確に射抜いているかと思いきや、時折混ぜ込んでくる皮肉とユーモアで笑いを取る。日本人やドイツ人に教えてもらいたいほどの話術だ。おそらく英語も流暢に話すのだろう。世界を股にかけるビジネスマンの掟だからだ。

ブローカーはさらに続けた。

「結局、社会はどこでも階級ですよ。カネを持つ者、持たぬ者。東京もハノイも同じ。共産主義?社会主義?看板が違うだけで、人はやっぱり上と下に分かれるのです。」

まるで革命の亡霊が横で囁いているような言葉だった。私は窓の外を見やった。雲海の上を進む鋼鉄の箱。ここにも階級はある。ビジネスクラスの椅子は、あたかも玉座のように前方に並んでいる。私はもちろんエコノミー。労働者階級の群衆に紛れ、膝をすり合わせながら過ごす。社会学の教科書の縮図がここにある。

フランス人がこの光景を見たらどう思うだろうか。バスティーユを襲撃したあの群衆も、結局は今のように「シート幅」という新しいヒエラルキーに従っている。革命は成ったのに、階級は座席の等級として蘇る。捲土重来とはこのことか。いや、むしろ「カネで座席を買い替えられるのだから自由の勝利だ」と喝采を送るかもしれない。

そう考えると、現代日本のサラリーマンの姿が重なった。週5日間、朝8時から夜遅くまで労働に押し込められ、昇進の座席はいつまでも空かない。上司はビジネスクラスに座り、下っ端はエコノミーに縛り付けられる。たまに奮起して「努力すれば昇格できる」と言われても、実際にはマイレージ不足で格上げされることは滅多にない。

ブローカーはにやりと笑ってこう締めくくった。

「人は自由に見えて、結局は座席指定ですよ。」

その言葉は妙に腹に落ちた。私は目を閉じ、機内の振動に身を任せた。考えても仕方がない。むしろ、チャイティーのようにスパイスが効いた不条理を楽しむしかない。甘さと苦さの入り混じる液体を啜るように、人生の矛盾を飲み込む。

その瞬間、私は奇妙に落ち着いていた。これから待ち受けるベトナムの現実も、きっと同じだ。甘さと苦さ、光と闇。結局、全部まとめて飲み干すしかないのだ。

【3】機内食と工場労働

その後しばらく沈黙が続いた。機体は安定飛行を続け、窓の外では雲がただ白いだけの存在として広がっていた。私は思った。この雲の上では、勝者も敗者も、王も奴隷も存在しない。あるのはシートに押し込まれた人間の群れだけだ。天空の牢獄だ。

しかし、着陸すれば再び階級と労働が支配する現実に戻る。みな資本主義というベットタウンに帰っていく。99の労働と1の安らぎ。そう考えると、今ここで交わした会話も、やがてどこかに消え去るのだろう。吹けば飛ぶ埃のように。無駄で、しかし必要な言葉として。

そうこうしているうちに機内食が配られた。白いトレイに整然と並ぶ料理は、どうにも大量生産された工場製品のようで、温かみと冷たさが同居している。メインは鶏肉のトマト煮込み。機内特有の加圧式オーブンで蒸し焼きにされたせいか、妙に水っぽく、それでいて塩味だけは過剰に主張している。付け合わせには白飯が控えている。日本米ではないらしく、粒が立たずにベタリと張りつく。それでも、腹を満たすためにはありがたい存在だ。

天空の檻の中で食べる囚人飯。といっても腹はしっかりと満たされ、少しも貧相な感じはしない。生まれつきの貧乏舌のせいか何でも美味しくいただける。知人の中には機内食など食えた物ではない、と言う者もいる。肥えた舌には味気ないのだろう。

どちらが幸せなのだろうか。肥えた舌と貧乏舌。無論、お金がかかるのは肥え舌だ。しかし、世界の珍味を知っているというのも悪くない。経験の積み重ねが人生なのだから。食の経験も多いに越したことはない。

かく言う私はメリハリをつけている。日常生活は自炊を中心とした粗食に勤しんでいる。外食はしない。友人、恋人との旅行、会食などでは多いにお金を使う。久しぶりの外食は何とも美味いのだ。

パンが一つ添えられている。小さな丸パンで、やや乾いていて表皮がパリッと硬い。中身は不思議と空洞が多く、口に入れると水分を奪われる。バターの小袋を塗りたくると、少しは人心地がついた。

デザートはチョコレートムース。どこか人工的な甘みで、口内にいつまでも残り続ける。まるで「甘美な後悔」のように。失われた青春の帰還。飲み物は赤ワインか、コーラか、あるいはオレンジジュースか。私は迷わずオレンジジュースを選んだ。少量だが、旅の始まりにふさわしい儀式のように思えた。酒盃は現地までお預けにしておこうと思う。

思えば、機内食とは縮図だ。国際線の狭い座席に押し込められた乗客たちに、均一化された「幸福」が配布される。これは小さな資本主義社会。長時間のフライトという労働を課された労働者である我々は同じ定食を口にする。飲食で束の間の安らぎを得る。ランチタイムのサラリーマンのように。そして粛々と労働に戻っていく。

ビジネスクラスやファーストクラスでは、きっともう少しマシな食事が供されるのだろう。そこでもまた階級差が口に運ばれる。革命後のフランス人が見たら嘆くだろうか、それとも笑い飛ばすだろうか。結局のところ、人類は胃袋の中にまで階級を輸出してしまったのだ。だが、不思議と嫉妬や憎悪はない。この労働者然とした待遇が気持ち良く感じられる。自身の隠されたマゾヒズムに浸りながらハノイへのフライトは続く。

パンを噛み締めながら、私はふと思う。ベトナムに着けば、これとは正反対の食文化が待ち受けているのだろう。路上に並ぶ屋台のフォー、油にまみれたバインミー、独特の香草の匂いが鼻をつくブンチャー。鶏の内臓、カエルの唐揚げ、ドリアン。

いずれも現地人にとっては日常の糧であり、我々には冒険の対象だ。日本の労働者が昼休みにコンビニ弁当を頬張るのと同じように、彼らはプラスチック椅子に腰を下ろし、汗を流しながら食べる。その違いは、文化の厚みか、気候の熱気か。全てが奇異に感じるが、同時に日常でもある。海を越えるだけで世界が一変する。文明も未開もない。人間の営みがそこにあるだけだ。

私は硬いパンをもう一口かじる。味気ないが、これもまた旅の序章だ。ベトナムの街角で本物の香辛料に舌を痺れさせるその瞬間を想像すれば、この工業製品のパンですら有難い前菜のように思えてくる。オレンジジュースの酸味が喉を焼き、私は小さく笑った。不条理で不格好な食事でさえ、旅への欲望を否応なく煽ってくれるのだから。

機内食を平らげると、私は素知らぬ顔でトレイを片付け、背もたれを少し倒して本を開いた。タイトルは『イギリス紳士のユーモア』。よりによってベトナム行きの機内で読むには不釣り合いな一冊だ。植民地帝国だったイギリス。ベトナムはフランス統治だったが、憎き帝国主義国家には違いない。だが、私はわざとこの選択をした。周囲がハノイ到着後の予定に浮き立つ中、私の頭の中だけロンドンの霧に包まれていた。

ページをめくるごとに、紳士の教養や趣味、服装や振る舞いが並んでいる。朝は新聞と紅茶、昼はランチとジョークを交えた会話、夜は暖炉の前で読書。規律ある退屈の美学だ。私は不意に思う――工場でゴム長靴を履き、魚をさばいて塩水に浸す私のような人間にも、この「紳士の嗜み」なるものは移植可能なのだろうか。

イギリス人はよくパブに出かけていく。日本のコンビニ並みにパブが存在する。そこで一杯ひっかけ寛ぐ。悠々自適の紳士生活。現代の紳士はフォーマルな時間にはパリッと決め、日常生活ではラフな服装を好む。一見、これが紳士なのかと疑う容姿。しかし、中身の教養は本物。

ナイフとフォークの扱い方や、スリーピースの着こなしはさておき、ユーモアの精神は万人に開かれているはずだ。労働者が汗をかきながら発する一言が、時にサロンの機知を凌駕することもある。だが現実はどうだろう。ライン作業での冗談は「早く手を動かせ」という上司の一喝にかき消される。遊び心もあったものではない。知性やユーモアは心の余裕あっての営みなのだ。

上司の一喝の後には、魚の目玉より冷たい笑いしか残らない。冷たくなった魚のようにユーモアも冷えていく。知性がこの世を去って行く。これを紳士的と呼べるかは怪しい。知性もユーモアも工場労働という騒音に抹殺されていく。だが、知性とユーモアを兼ね備えた工場労働者。何とも異端で歪な響きだろうか。

それでも、私は思う。紳士の伝統は格式張ったステッキやシルクハットにあるのではなく、日常の矛盾を笑い飛ばす精神にこそ宿るのではないか。イギリス人が紅茶の渋みに人生の苦味を重ねるように、私は塩辛い作業着の匂いの中に世界の理不尽を嗅ぎ取る。そして、それを笑いへと変換できれば、工場労働者も立派な紳士だ。

一方で、現代の流行にも触れてみる。本書が描く「古き良き紳士」とは対照的に、スマートフォンに振り回される現代人は、もはや常時通知に反応する「召使い」ではないか。アプリから命令が飛び、我々は忠実に従う。労働者であれ、サラリーマンであれ、紳士であれ、結局は機械仕掛けの奴隷だ。私は窓外の雲海を眺めながら、思わずくすりと笑った。

「工場労働者でも紳士の嗜みは可能か」――これはただの問いかけに見えるかもしれない。しかし、労働と余暇、伝統と流行の狭間で揺れ動く我々にとって、切実なテーマでもある。ベトナムでこれから会う実習生たちもまた、労働に押し込められながら、自分なりの「紳士のユーモア」を育てるのだろうか。もしそうだとしたら、労働の現場こそ最も新鮮な笑いの源泉なのかもしれない。

ページの端を指で折りながら、私は半ば退屈、半ば満足の入り混じった気分に浸った。伝統と現代、ユーモアと虚無感。そのすべてを抱え込みながら、鋼鉄の箱は東南アジアの空へと進んでいく。

【4】到着へのカウントダウン

機内は静かに時間を刻んでいた。トレイが片付けられ、残り香だけが漂う。コーヒーの苦味、ビーフシチューの残滓、どこかで誰かが落としたパン屑の乾いた匂い。それらが混ざり合い、密閉された機内という小さな宇宙を構成している。私は椅子に深く沈み込み、窓の外を眺めた。

機体はすでに高度を保ち、眼下には海と雲が交互に広がっている。窓際に座った私は、ただその白と青の模様を眺めていた。時間の流れが遅く感じられる。異国に到着する前の緊張感と、どこか冷えた空虚感が、奇妙に同居していた。胸の内にざわつきはあるのに、頭の中は妙に冷静なのだ。

眼下には雲が、海原のように果てしなく広がっている。ときおり切れ間から見える大地は、幾何学的な模様のように切り分けられ、田畑とも工場地帯とも判別がつかない。人間の営みなど、上空一万メートルから見れば線と点に過ぎないのだ。私はその事実に、どうしようもない空虚さと、同時に言いようのない安堵を覚える。

思えば、工場での日々も同じことだった。魚を切り、味を付け、パックに詰める。流れ作業の一部品として回転する毎日。だが、今私が座っているこのシートも同じだ。座席番号、搭乗券、与えられた機内食。まるで巨大な工場のラインに組み込まれているようだ。資本主義の歯車であることを自覚しながら、それでも人は空を飛び続ける。愚かで愛おしい習性だ。

シートベルトの金具に触れると、冷たい感触が指先に残った。束縛と安全は紙一重。ベルトを外せば自由だが、突如乱気流が襲えば即死の可能性もある。人間の自由とは、たかがこの程度のものなのだろう。条件付きの自由。選択肢を与えられた自由。いや、選ばされた自由。フーコーやサルトルなら、きっと鼻で笑うに違いない。

機体が少し揺れる。機長の声がアナウンスで響く。少し雲の中を進むので機体が揺れる、と。旅の始まりは、いつもこの揺れと共にある。日本という安全圏を離れ、別の世界へ投げ込まれる瞬間だ。異邦人のムルソーが地中海の太陽を浴びながら自らの運命を呑み込んだように、私もまたハノイの空気を吸うことになるのだろう。

「人生とは、結局は空港の入国審査みたいなものかもしれないな。」ふとそんな比喩が浮かんだ。スタンプを押されれば通過、拒まれれば帰国。理由は誰も教えてくれない。ただ、そこに座る無名の係員が生殺与奪を握っている。

機体はすでにベトナムの空域に入ったのだろうか。窓の外には雲の切れ間から光が斜めに射し、金属の翼に鈍い輝きを落としている。機内はざわついているようで、しかし本質的には静寂だった。人間の声というものは、いくら集まろうとも結局は断片でしかない。

「早く着かないかなぁ、足がもう痺れちゃってさ」

と隣の列の中年男性が愚痴をこぼす。隣席の妻らしき人物は

「だからスリッパにすれば良かったのに」

と平然と返す。どうやら足の痺れは結婚生活の縮図のように、互いに気にされもせず、淡々と流される運命らしい。

前方の席では若い男女がガイドブックを広げ、声を潜めては笑っている。

「ホアンキエム湖に行こうよ。インスタに映えるんだって」

「いや、アオザイを着て写真撮らないと意味ないでしょ」

彼らにとってハノイは“背景”でしかないらしい。恋愛の舞台装置、SNSの燃料、未来の思い出のスクラップ。だが、そのどれもが現地の人間の暮らしとは無関係だ。

後方では壮年のビジネスマン風の男がPCを開き、書類を打ち込んでいる。

「この時間を有効に使わなきゃな」

独り言が聞こえてくる。資本主義の亡霊に憑かれた兵士は、空の上でも戦場を離れられない。もしかすると彼の人生の着陸地は、空港ではなく書類の山かもしれない。

一方で、私の斜め後ろでは初老の男が口を開けて熟睡している。規則的な鼾が揺れるたび、人生を生き抜いてきた証が重力のように響く。夢の中では、きっと戦争か、青春か、あるいは何も見ていないかもしれない。いずれにせよ、この鼾こそ最も誠実な声なのかもしれない。

私は座席に深く沈み込みながら、これらの断片を拾い集める。眠る者、愚痴る者、未来に浮かれる者、そして労働に追われる者。人は皆、到着前の機内で人生の縮図を演じているのだろう。滑稽な縮図劇場。ここに「自由」はあるのだろうか? いや、自由とは、椅子に括り付けられたシートベルトのことを指すのかもしれない。

間もなく窓の外に、大河が蜿蜒と流れるのが見えてきた。紅河か。それとも別の支流か。いずれにせよ、その褐色の流れは歴史の奔流を思わせた。インドシナ戦争、社会主義の独裁、資本主義との折衝。すべてを飲み込み、濁った水となって今も流れ続けている。

エンジンの唸りが低くなり、車輪が大地を求める音が聞こえてくる。いよいよだ。ハノイ、ノイバイ国際空港。そこには何が待っているのか。笑顔か、混沌か、それとも沈黙か。私はただ、窓の外に広がる青灰色の大地を見つめ続けていた。

ハノイに到着すれば、新しい光景が待ち受けているだろう。だが今は、その直前の「宙吊りの時間」だ。到着と未到着のあいだ。意味と無意味の狭間。緊張があり、同時に空虚でもある。私はシートに身を沈めながら、思わず薄ら笑いを浮かべた。空虚すらも、こうして一つの娯楽になるのかもしれない。

【5】ノイバイ国際空港

日本を出発して四時間あまり、機体は予定通りにハノイのノイバイ国際空港へ向けて降下を始めていた。飛行は安定していて、乱気流に大きく揺さぶられることもなく、乗客たちは機内食を食べ、映画を眺め、うたた寝を繰り返すうちに、いつのまにか異国の上空に差しかかっていた。座席に身を預けながら、私の意識もどこか曖昧で、日常から切り離された浮遊感を味わっていた。

着陸間近になると、窓の外に見える景色が急速に解像度を増していった。最初はただの濃い緑と茶色のまだら模様だったものが、目を凝らすにつれて山並み、耕地、そして蛇行する河川へと姿を変える。

日本の川は、雨上がりを除けば青や銀色に近い澄んだ色をしている。だがここでは、太く濁った茶色の帯が大地を分断し、うねりながら海へ向かっている。水そのものが大地の一部を抱え込んでいるかのようだ。その濁流を目にした瞬間、日本の自然の繊細さと脆さが、逆に鮮烈に浮かび上がった。地質、気候、風土の違いが、これほどまでに川の色を変えるのか。

眼下に広がるのは、どこか単調でありながら力強い街並みだった。高層ビル群は少なく、赤茶色の屋根がぎっしりと敷き詰められている。均一に区画された住宅地の灰色が、大地に群がる蟻塚のように見えた。

屋根のオレンジ色は夕暮れの残光のようで、そこに暮らす人々の営みを想像させる。窓の外の景色をカメラに収めるべきかと一瞬迷ったが、結局レンズを向けることはやめた。記憶に焼き付ける方が、写真よりも長く心に残るように思えたからだ。

機内に「まもなく着陸態勢に入ります」というアナウンスが響く。乗客の誰もがそれを聞き慣れているはずなのに、途端に空気が張り詰めたように感じられる。着陸は技術的には日常の一部であり、失敗などまずあり得ないことだと誰もが分かっている。

それでも人間は、無意識のうちに最悪の事態を想定してしまう生き物らしい。墜落する映像を脳裏に浮かべてはすぐに打ち消し、ベルトを締め直す。その緊張感は言葉にはならず、ただ座席の揺れと心拍数の高まりとなって伝わってくる。

やがて機体は地上に吸い寄せられるように滑り込み、車輪がアスファルトを強く叩いた。機体全体に小さな震えが走り、それと同時に機内には目に見えぬ安堵の吐息が一斉に広がった。歓声は上がらない。ただ静かに、確実に、ほとんど全員の胸から緊張が解けていく。心臓の鼓動も、さっきまでの警報のようなリズムから、日常の拍に戻っていった。

飛行機は速度を落とし、誘導路を進んでいく。外の景色は、遠い雲の上ではなく、地面に密着したものへと変わっていた。駐機場には、白と青の機体が並び、各国からやってきた人々を吐き出しては飲み込み続けている。ベトナムの空港は、日本のそれよりも幾分か素朴で、しかし、生き物のように脈打っていた。

完全に停止した瞬間、私は大きなプロジェクトを完了した後のような感覚に包まれた。達成感というより、むしろ拘束から解き放たれたような解放感だ。四時間の空白が閉じられ、私はいま確かに異国の土に足を踏み入れようとしている。

機内アナウンスが再び流れ、乗客たちは一斉に立ち上がった。頭上の棚からキャリーケースやバックパックが引き出され、通路は人の流れで詰まる。私もその一部となりながら、ふと窓の外を見た。太陽が中天を過ぎ、夕刻に向けて走り出した空の下、滑走路の一部が窓口から垣間見える。数え切れないくらいの飛行機を受け入れてきたものがそこにいた。

飛行機のドアが開くと同時に、私たちはまるで工場の労働者のように列を成して進み始めた。行き先はただ一つ、空港内の検査ライン。前のめりで押し合う群衆は、まるでベルトコンベアに乗せられた魚のパックそのものだった。行列に並んだ瞬間から、私という「個」は剥ぎ取られ、番号札のついた製品に変わる。収監された囚人に割り振られる番号のように。

最初に待ち構えていたのは検温と書類チェック。白衣を着た係員が淡々と体温検査機を額に突きつけ、目だけを動かして紙と照合する。あの目は、工場で初期検査を行う検査員の目と同じだ。もしここで規格外と判断されれば即リジェクト。ラインから外され、再利用もされず、廃棄か倉庫行きだ。日本の工場なら「不適合報告書」という名の回覧がオフィスを舞うのだろうが、ここでは眉がわずかに上下するだけだ。人間が人間を弾く瞬間が、これほど無味乾燥であることに、私は改めて感心する。

そしてパスポートチェック。無表情の審査官が、私の顔と写真を交互に見比べる。その目は人事部の採用担当の目にそっくりだった。履歴書上は「有能」に見えるが、実物は果たしてどうか? そんな無言の審査。こちらは必死に「私は規格内の人間です」とアピールするが、表情筋の一挙手一投足が測定されている気がする。落ちれば即帰国、履歴書が破り捨てられるように。ガシャ、というパスポートに印が押される音で無罪が宣告される。面接は無事に合格したようだ。

次は荷物検査。ベルトの上を私物が晒されていく。鞄の中身がひとつ残らず露わになる様は、家庭の冷蔵庫を隣人に覗かれるような屈辱感を呼び起こす。普段は机の奥に隠しているカップラーメンや、若気の至りで購入したアニメDVDを突然同僚に見られてしまう、そんな恥に似ている。サラリーマンなら残業机の上に放置したコンビニ弁当やら内緒の漫画雑誌やらを、翌朝上司に発見されるのと同義だろう。埃にまみれた書類とともに、魂の隅々までスキャンされてしまう。この恥を超えた先に入国という目的地があるのだ。だが、現代人は海外旅行に慣れすぎたため、いちいちこのような恥は感じない。むしろ相手国側の権利とまで思っている。

無事に一連の検査をクリアし、ハノイという陳列棚に並ぶことを許された。これからは商品として、ハノイの市場に流通していく。旅先でドンをどんどん落としていく観光客の一員だ。そう思った時、自分が出張できていることを思い出す。そうだ、これは仕事なのだと。いつの間にかハノイの異国情緒に当てられていたらしい。先が思いやられる。

思えばこの一連の流れ、日本のサラリーマンが朝オフィスに辿り着く儀式に酷似している。満員電車という輸送ラインを経て、改札というゲートで社員証をピッと通す。エレベーターという立体ベルトに揺られ、オフィスの席という「最終検品場」に配置される。違いといえば、押されるのがスタンプかハンコかくらいのものだろう。

私は列を進みながら考える。なぜここまで人間を物として扱う工程が徹底しているのか。安全のためか、秩序のためか、国家の威信のためか。理由はいくつも掲げられるが、最終的には魚のパックと同じ「異物混入を防ぐため」に収束する。つまり私は異物であってはならない。にこやかに、何事もなく通過し、無傷の製品として次の国に収められねばならない。私は無害であり、貴国に利益をもたらすといことをアピールする必要がある。

そして結論に至る。人間とは、どこまでいっても誰かに検査され、承認印を押されてやっと存在を許される商品ではないのか。工場労働者であれ、サラリーマンであれ、旅客であれ。私たちはただ流され、検査され、規格内の烙印を押され続ける。ここは空港であり、同時にこの世の縮図でもある。

一連の検査を終え、無事にキャリーケースを回収する。ベルトコンベヤーを巡回する黒い箱は、所有者に捕獲される順番を待つだけの獲物に見えた。流れに従い、やがて誰かに取られていくか、取り残されるか。社会はだいたい、これと同じ仕組みで動いている。

私はその一つを手に取り、合流場所へ向かう。約束どおりなら、ここでトンさんたちと落ち合う。通路を進むと、すでに三人が待っていた。発光看板の白々しい光の中で、誰もが旅人ではなく、旅の役者のように見える。

「おや、蒲生さん。お待ちしていました。長旅、本当にお疲れ様でした。体調のほうは大丈夫ですか?」

トンさんはいつもの柔らかい調子だ。声の奥に、時刻表とタスクの連鎖が静かに回転している音がする。

「お待たせしました。ええ、大丈夫です。特に問題もなく、ここまで来られました。」

私は必要最小限だけ言う。余計な情報は、余計な選択肢を生む。

「無事で何よりです。お二人とも既に合流されています。まもなく、送り出し機関のスタッフが車で迎えに来るはずです。」

送り出し機関──日本では耳馴染みのない言葉だ。だがこの国では、若者を海外に送り出すこと自体が一つの産業で、語学訓練、健康診断、身元保証、手数料、そして融資が、見事に一つのパッケージに組み上がっている。夢の包装は丁寧だが、糸を解けば借金が先に出てくる。

「おお、蒲生君。お疲れさま。顔色を見る限り、元気そうだね。」

大伴社長は安堵したように目尻を下げた。部下が無事に到着することは、プロジェクトの最初の成果に計上される。

「いやぁ、疲れましたなぁ。ホテルに入ったら、何よりも先にベッドに潜り込みたいですわ。」

小野社長は率直だ。率直さは美徳だが、たいてい誰かの段取りを少しだけ重くする。

「すみません、お待たせしました。荷物検査の列が思った以上に進まず……。」

私の弁解は、空港という施設が大量生産するテンプレートの一つに過ぎない。

「今日はいつもより人が多い気がしますね。日曜日ですから、帰国が重なっているんでしょう。──では、出口に向かいましょう。送り出し機関の車が待っているはずです。」

【6】現地スタッフとの邂逅

トンさんを先頭に、私たちは出口へ向かう。磨かれた床をキャスターが鳴き、広告の笑顔がこちらを見ている。両替所の前では、紙幣を数える人たちの指先が忙しい。SIMカードの売り場では、接続の不安が一時金に変換されていく。

自動ドアが開くと、空気が変わった。湿度が皮膚に触れて、旅が外気に認証された気がする。日本の秋の乾いた空気とは正反対の、ねっとりとした温度だ。肺の奥に入り込むたび、身体の境界線が曖昧になるように思えた。私は、ついにベトナムに到着したのだ。昼下がりの微睡、道路の熱、あちこちで鳴るクラクション。空港の外は、いつでも街のイントロダクションだ。

特に車のクラクションの音には驚かされる。狭いロータリーの中に鮨詰めにされた車両。進まない列にイライラしたのか、力任せに鳴らすクラクション。混雑言うよりカオスだ。湿度と気温の高さから、みな憤怒を曝け出している。慣れるまでに幾許か時間がかかりそうだ。

「お待たせしました、皆さん。こちらです。」

若いスタッフがボードを掲げて近づいてくる。印刷された社名のフォントが、少しだけ古い。古いフォントは、だいたい古い体質と仲がいいが、古い体質が必ずしも悪いとも限らない。長く続ける技術を持っているという点では、しばしば新しい会社を凌駕する。

「Xin chào.(シンチャオ) よろしくお願いします。」

と言うのはベトナムの現地スタッフ。流暢な発音で日本語を添える。さすがは日本人相手のビジネスをしてきた者たちだ。外国人が日本語を操るだけで旅の安心感が違う。こちらの意図を明確に汲み取り、現地の情報にも精通している。最強の軍師が味方になった気分だ。まさに張良を得た劉邦の如きだ。

「こちらこそ、お世話になります。」と日本勢がお辞儀挨拶を交わし、名刺交換を行う。柔らかい笑顔は、国境を越えるための万能通貨に近い。だが、異国の地でも大和魂は失われていなかったようだ。むしろ、自分たちのアイデンティティを確認するかのように一連の動作を行う。

「ホテルまで、どれくらいですか?」と小野社長。どうやら酒池肉林への欲望が抑えられないようだ。

「今日は日曜で、道路はやや混雑しています。四十分くらいでしょうか。」とスタッフ。彼は私のスーツケースを軽々と持ち上げ、バンの後部に積む。労働の矢印が自然に彼のほうへ向いていく。私たちは見ている側に回る。ここでは私たちは顧客なのだ。突然、労働を奪われると手持ち無沙汰だ。労働魂もここに極まれり、だ。

続々とバンに乗り込む。大型のバンで10人は乗れるだろう。後部座席は前後参列で、前から小野、大伴、私と言う順に座った。

「シートベルト、お願いします。ハノイへようこそ。よろしくお願いします。」

運転手が振り返って簡潔に言う。簡潔は善だ。命令が短いと、従うことに余計な意味が生まれない。車が滑り出す。窓の外で、街の看板がひらがなのように流れていく。理解できなくても、読めない文字は美しい。意味が遅れて追いかけてくるので、景色のほうが先に届く。

「ところで、明日のスケジュールですが……」とトンさん。

「午前は送り出し機関で教育施設の見学、その後、候補者の面談です。」

「健康状態の確認、履歴書の整合性、通訳付きの面接、簡単な作業テストといった感じで採用者を決めていただきます。」

チェックリストが一つずつ宙に現れ、走行風で後方に飛んでいくイメージが浮かぶ。実際には、どれも現実に重い。技能実習制度の利点は、紙に書くと簡単だ。人手不足の業界に労働力が供給され、若者は技能と賃金を得る。

国と国との関係も、ニュースの見出し程度には温かくなる。欠点も、紙に書くと簡単だ。言葉の壁、賃金の格差、借金、ミスマッチ、そして誰のための「技能」なのかという問い。紙の上では両者が拮抗し、現場では日々の都合が勝つ。

「ホテルはどんなところですか?」

と小野社長。声に、夕食とシャワーの希望が混じっている。

「清潔で、朝食がおいしいと評判です。ベトナムの中では高級ホテルの部類に入ります。」

とスタッフ。どの国でも、ホテルの説明はだいたいこの二点に収束する。清潔さと食事。つまり、人は眠れて食べられれば、あとは自分で何とかする。異邦人でも飛び込んでしまえば、知らないうちに順応する。

「小野社長、お身体は大丈夫ですか。」とトンさん。

「うん、問題ないよ。」

小野社長は窓の外を見ながら短く答える。リーダーはたいてい、感想を短く言う訓練を受けている。長い感想は、会議の敵だからだ。

赤信号で車が止まり、ベトナムの風情が覗き込む。空港は郊外にあるため、しばらくは広大な田畑が続く。温度のある生活が道路の脇で淡々と進行している。私たちはその生活の横を通り過ぎて、温度のない会議室へ向かう予定だ。

20、30分も走ると窓の外には、ハノイ特有の雑然とした秩序が現れる。道路は複数の生き物が共存する川のようだ。バイクが群れを成して走り、荷台には果物籠、ガスボンベ、家族四人が無理やり収まっている。バイクのテールランプが赤い小魚の群れのように光を放ち、交差点に差しかかるたびに渦を巻く。クラクションは合図であり、怒声ではない。誰もが譲り合い、誰もが突っ込み、結果として流れは止まらない。

「これがベトナムの交通です。」

とトンさんが小声でつぶやく。説明は不要だった。すでに窓の外が、何百の証言を同時に語っている。証明は終了している。道路脇では、鉄製の簡易テーブルがずらりと並び、客たちがプラスチック椅子に腰を下ろし、熱いフォーを啜っている。

湯気はバイクの排気と混じり合い、立ち上るたびに太陽に照らされて一瞬だけ金色に光る。その光景は、どんな高級レストランの演出よりも雄弁に、この街が「生きている」ことを示していた。私にとっては非日常、彼らにとっては日常なのだ。

やがて車は市街地の幹線道路に入り、両脇には巨大な看板が林立する。韓国コスメの広告、中国資本の不動産、そして英語で書かれた「New Life」「Future City」。未来を売る文字が、過去の建物の壁に無理やり貼り付けられている。そのアンバランスさが、逆にこの国の現実感を強めていた。だが、ベトナムの未来は明るい。若者の破竹のような勢いが国力を増加させるだろう。

川を渡ると、橋の上から点在する家々がぽつんぽつんと浮かび、まるで虫籠の中で灯る蛍の群れのようだ。街の低いざわめき、川面を渡る湿った風。眠りにつく都市と、これから働きに出る都市が、同じ時間に同じ場所に重なっていた。

バンはさらに進み、葉の影が車窓に細かな模様を刻んでいく。街は古さと新しさが縫い合わされたパッチワークのようだ。フランス植民地時代の建物が肩を寄せ合い、その隣にガラス張りの高層ビルが突き立っている。どちらも完成しているようで、どちらも未完成のまま放置されているようにも見える。歩道の所々は荒れており、発展国特有の粗雑さを見せている。

「ホテルまでは、あと十分ほどです。」

とスタッフが告げる。声は事務的だが、その響きには都市のリズムが混じっている。前方に、大きな鉄の塊が見えてくる。フォーチュナホテルだ。光沢のある外壁が浮かび上がり、通りの混沌に一つの句読点を打つように輝いている。近づくにつれて、ロビーに出入りする人影がはっきりし、スーツケースを押す客、制服のベルボーイ、タクシーの呼び込みが交錯しているのが見える。

車がホテルのロータリーに滑り込み、乗客を吐き出していく。送り出し機関のスタッフが素早く下車し、荷物を運び込んでいく。日本人も舌をまく気遣いの良さだ。一心不乱に労働に従事する姿が眩しく映る。

ベルボーイが素早くドアを開け、フォーチュナへと誘う。湿気と排気ガスの匂いは、ドアの開閉一つで外に押し戻され、代わりに冷房の冷気と花の香りが流れ込んでくる。異国の雑踏から切り離された瞬間だった。先程までの、機械の合唱が嘘のように静まり返る。

「チェックインをまとめて済ませますので、パスポートをお預かりします。」

トンさんは慣れた手つきで私たちのパスポートを集め、送り出し機関のスタッフとともにフロントへ向かった。その背中を見送りながら、私はふと思った。人間の尊厳を最も手軽に預けられるのは、いまや銀行口座ではなくパスポートだ。数枚の紙が、国境を越える私の存在を保証している。逆に言えば、それを失った瞬間、人は一気に「誰でもない者」に転落する。

入れ替わりにホテルの従業員が現れ、流暢な日本語で声をかけてきた。

「チェックインまで少々お時間をいただきます。こちらにお掛けになってお待ちください。すぐにお飲み物をお持ちいたします。」

わずかに訛りはあるが、耳に心地よい日本語だった。トンさんの説明によれば、このホテルは日本人御用達で、出張や観光客で常に賑わっているらしい。近くにあるハノイホテルも同じだという。スタッフが日本語を身につけるのは、生存戦略の一つなのだろう。初めて異国を訪れる日本人にとっては安心材料だが、同時に「我々はもはや市場として翻訳される存在なのだ」と考えると、笑えない気分にもなる。

社長二人とロビーのソファに腰を下ろすと、冷房の効いた空気が体を包み込んだ。しばらくして、飲み物が運ばれてくる。

「どうぞお召し上がりください。」

無駄のない所作で差し出されたグラスの中には、氷と茶色の液体。一見ウーロン茶だが、口に含むとほんのりと甘い。汗で荒れた喉を潤すには十分だった。日本であれば「お茶は苦くて渋いもの」という常識があるが、ここでは甘さが標準装備らしい。思えば日本でも、戦後の闇市では砂糖は通貨のように扱われていた。豊かさの尺度は時代と地域でいとも簡単に変わる。

「ようやく一息つけましたなあ。まだ夕方の五時、ベトナムの夜はこれからですな。」

小野社長はコップを一息に空け、手を挙げてスタッフに追加を注文した。

「ごめん、ドリンクもう一杯!」

合図の素早さは、部下への指示と変わらない。即断即決が美徳なのは仕事の場だけでいい気がするのだが、こういう癖は異国のロビーでも発揮されるらしい。すぐにおかわりが届き、小野社長は再び喉を潤した。よほど乾いていたのか、それともこれから始まる宴への助走なのか。

「秋口だというのに、まだまだ暑いね。バイクや車が密集しているせいで、余計に熱気がこもる。」

黙っていた大伴社長が感想を漏らした。彼は常に大局を語りたがる。

「ええ、日本の暑さとはまた違いますね。」私は相槌を打つ。

「そうそう。湿気は日本ほどじゃないが、あのクラクションの多さが不快感を増す。だが、いずれは自動車に置き換わるのだろう。」

「かもしれません。日本もそうでしたから。」

「今のベトナムは、昔の日本の高度経済成長を見ているのかもしれない。」

私は思わず口を挟んだ。

「なるほど……確かに街全体が拡張工事中のように見えます。ですが日本の高度経済成長の終わりがどうなったかを思うと、ベトナムも注意が必要でしょうね。」

「大伴社長が子どもの頃はどうでした?」と私は話題を向けた。

「私か?そうだな。ここまでバイクだらけじゃなかったが、それでも普及率は高かった。何より安価だったし、自動車は高すぎた。家や車を持つのは親の夢だったよ。今では当たり前のように家を建て、車を複数所有する家庭も珍しくない。『失われた何十年』なんて言うけれど、生活水準は確実に豊かになっている。」

私は頷きながら心の中で思った。確かに物質的には豊かになった。しかし日本のサラリーマンは、毎日満員電車で魂をすり減らし、残業で家族の顔もろくに見られない。給料が増えても、自由は減っている。最近ではその給料も停滞している。幸福度という言葉を持ち出せば、数字はおそらくベトナムに逆転される日も近いのではないか。

「では、幸福度はどうでしょうか?」私はついに口に出した。

二人の社長は一瞬黙り込み、それから互いに顔を見合わせて笑った。

「君は急に難しいことを言うね。」

「サラリーマンにとって幸福度なんて、年のボーナスと上司の機嫌で決まるものさ。」

笑い話のように聞こえるが、どこか刺さる言葉だった。幸福とは結局、数字よりも「目の前の小さな余裕」のことなのだろう。冷房の効いたロビーで飲む甘いお茶も、その一つだ。

大伴社長も笑いながら加勢する。

「そうだ。あとは定年まで持ちこたえられるかどうか。それ以上を望んでも、だいたいは無駄だ。」

冗談めいた口調だったが、その実感のこもり方が、むしろ胸に突き刺さる。私は黙ってグラスの氷を揺らした。カランと乾いた音が、ロビーの冷気の中で妙に響いた。

幸福とは何だろう。彼らのように「仕事を全うし、家庭を維持し、老後に年金を受け取る」ことを幸福と呼ぶなら、日本の多くのサラリーマンは十分に幸福の条件を満たしているはずだ。しかし、数字や制度の上で保証される幸福は、なぜか肌に馴染まない。

私はふと、自分の目指す半隠遁生活を思い出した。社会との縁を完全に切るのではなく、必要最低限のつながりを保ちながら、余計なものを持たずに暮らすこと。大きな家や複数台の車よりも、一冊の本と静かな時間に価値を置くこと。

幸福を「所有」ではなく「不要の削減」で測るとしたら、どうだろう。財布に厚みがなくても、時間に余白があれば心は膨らむ。肩書きがなくても、自分の思索に耽る余地があれば、それは十分に幸福ではないか。

社長たちの言葉を聞きながら、私は心の中で小さく反論していた。幸福度ランキングがどうであれ、幸福の定義はいつも個人の内部にしかない。サラリーマン的尺度では、幸福は「外部から与えられる報酬」に依存してしまう。だが半隠遁を志す私にとって、幸福とはむしろ「外部から切り離しても残るもの」なのだ。

グラスの甘いお茶を口に含みながら、私は考える。ベトナムの人々が夜の屋台で笑いながらフォーを啜っている姿は、日本の幸福論より説得力がある。収入や制度の比較を超えて、日々の呼吸の中にある「今この瞬間の余裕」こそが幸福の核心なのだろう。

そのとき、フロントからトンさんの声が響いた。

「皆さん、チェックインが完了しました。お部屋のカードキーをお持ちしました。夕食は19時からになります。その時間にロビー集合で、それまでは自由時間とします。よろしくお願いします。」

思索は唐突に切り上げられた。幸福とは何か、という問いはグラスの底に沈んだ氷のように残ったまま。私は小さな溜息をつき、立ち上がった。パスポートと引き換えに渡されたカードキーは、異国のホテルの部屋への扉を開く。だが、果たして幸福への扉も同じようにカード一枚で開くものだろうか。

私は足を踏み出す。ここから始まるのは、労働と交渉と、そして小さな観察の積み重ねだ。旅情の幕は閉じ、別の劇場の幕が上がる。

半隠遁を志すには、静けさが必要だとよく言われる。だが静けさは、静かな場所にしかないわけではない。騒音の中にも静けさはある。自分に向かう矢印を弱め、世界のほうを少し強くするだけで、静けさは勝手に見つかる。

今日の拘束は、ようやく形を変えるだろう。ベッド、シャワー、無線LAN。拘束の質は悪くない。私は窓に指先を当て、ガラスの微かな冷たさで、今ここにいることを確認した。旅は、しばしば確認の連続だ。自分がまだここにいるという、単純で厄介な事実の確認である。

【7】ハノイ散歩

トンさんが差し出したカードキーを受け取り、私たちはそれぞれの部屋へと向かった。エレベーターに乗り込むと、鏡張りの壁に映る自分の顔が、わずかに疲れを帯びているのに気づいた。飛行機の長旅というより、先ほどの幸福論の応酬に精神を使ったのかもしれない。サラリーマンは議論でさえ出張の一部だ。

部屋に入ると、冷房の冷気がまとわりついてきた。ベッドは二つもあるが、使うのは一つで十分だ。余った一つは、まるで「豪華さの証明書」として置かれているにすぎない。スーツケースを開け、シャツを掛け、書類を机に置く。わずか数分の荷解きなのに、旅の「外様」だった自分がこの部屋の「住人」に格上げされる感覚がある。ホテルの部屋は、簡易的な住居であり、同時に仮設の人生だ。

椅子に腰を下ろし、ふと天井を見上げる。思考は再び幸福へ戻る。日本のオフィスで「生産性」「効率化」と唱えられるたびに、人間の幸福度は下がっていく気がする。効率化された先に残るのは、余白のない一日と、過労死ラインのグラフ。幸福はGDPに換算できない、と口では言いながら、誰もそれをやめようとはしない。

半隠遁生活を目指す私にとって、幸福は「余白の奪還」に他ならない。高級なソファや豪勢な夕食よりも、誰にも邪魔されない読書の一時間が欲しい。だが、現実にはまだ私は社長たちの随行員であり、夜の接待という儀式が待っている。幸福への道は、チェックインよりも複雑な手続きを要するらしい。

時計を見ると、まだ夜の始まりだ。ベッドに倒れ込むには早すぎる。私は軽く顔を洗い、上着を羽織った。窓の外にはバイクのテールランプが赤い川のように流れている。あの流れの中に一歩踏み出せば、また別の幸福の断片に出会えるかもしれない。

私はカードキーをポケットにしまい、再び廊下へ出た。ホテルの部屋は私を一時的に守るが、旅の記憶を与えてくれるのは、やはり外の喧騒だ。異国の夜は、幸福を測り直すための実験場である。

ひと息つくと、じっとしているのが惜しくなった。せっかく異国に来たのだ、少し街を歩いてみよう。ホテルの外に出ると、熱気が再び身体にまとわりつく。さっきまで冷気に守られていた分、肌に貼り付く湿度はより濃密に感じられる。だが、この不快さこそが「本物」だ。旅人はたいてい快適さを求めるが、記憶に残るのは不便の方である。

通りに出ると、ハノイの夜はすでに賑わっていた。道路の端には、プラスチック椅子に腰かける人々が、湯気の立つフォーの椀を前に談笑している。青いタンクトップの若者、制服姿の学生、仕事帰りの労働者。彼らの表情は、日本の居酒屋で生ビールを傾けるサラリーマンと大差ない。ただ、テーブルの上に置かれたのは唐揚げではなく、香草の束とライムである。

通りの両側には、無数の屋台が連なっている。金属鍋を叩く音、油の弾ける音、香草と肉が焼ける匂いが風に乗ってくる。日本で「ベトナム料理」として紹介されるとき、それは健康的で洒落たイメージを帯びる。しかし現場に来てみれば、油煙と排気ガスと香辛料が一緒くたになり、鼻を直撃する。だがその混沌が、この街の味を豊かにしているのだ。

道路は常にバイクで埋め尽くされている。赤いテールランプの群れが、川の流れのように絶え間なく続いていく。ヘルメットの上から電話をする者もいれば、荷台に信じられないほどの荷物を積む者もいる。日本なら即座に交通違反だろうが、ここではそれが秩序になっている。法律よりも習慣が強い国は、しばしば人間らしく見える。

「横断歩道を渡るときは、決して立ち止まらず、ゆっくり歩け」──かつて読んだ旅行記事の助言を思い出す。実際に渡ってみると、なるほど、バイクの群れは私をよけて流れていく。彼らにとって歩行者は障害物ではなく、動く信号機のようなものらしい。私は不思議な自信を覚えながら道路を渡り切った。命の値段はどこでも同じだが、その計算式は国によって違うのだ。

路地の角に小さなカフェがあった。裸電球が揺れ、木製の椅子とテーブルが歩道に置かれている。壁には色あせたポスターと古びた時計。ガラス戸越しに見える店主は、慣れた手つきで銀色のフィルターに湯を注いでいた。

私は迷わず席に腰を下ろし、アイスコーヒーを注文する。数分後、運ばれてきたのは、練乳が底に沈んだ深煎りのコーヒーだった。黒々とした液体の中で氷が音を立て、グラスの表面に夜の湿気が滴る。ストローでかき混ぜると、甘さと苦さが渦を巻いて混ざり合う。ひと口飲むと、その濃厚さに舌が痺れた。日本で飲むコーヒーが「目覚めの一杯」なら、これは「人生への挑戦状」だ。

向かいの椅子に、いつのまにか一人の男性が腰を下ろしていた。年の頃は三十代半ば。痩せ型で、シャツの袖を無造作にまくり上げている。店内の席が埋まっているせいか、あるいはただの好奇心か、彼は軽く会釈して相席を求めてきた。私は笑ってうなずく。

「Xin chào.(シンチャオ)」彼が先に口を開いた。
「Xin chào.」私もぎこちなく返す。自分の発音が正しいのか不安だが、彼は気にした様子もなく微笑んだ。

「日本人ですか?」流暢な英語が続く。
「はい、徳島から来ました。」
「トクシマ?」彼は少し首をかしげ、すぐに「Tokyo?」と聞き直した。
「いえ、Tokyo ではなく、四国の小さな地方都市です。」
「オー、シコク!有名じゃない。でも面白そうですね。」

彼はテーブルに置いた自分のグラスを指で弾きながら、「ベトナムへは仕事ですか?それとも旅行?」と尋ねた。
「仕事です。技能実習生の面接で。」
「Ah… 実習生。」彼の表情が少し曇る。「私のいとこも日本で働いています。工場。夜勤ばかりで大変そう。でも、日本で学べることもある、と手紙に書いていました。」

彼の声には、誇りと不安が同居していた。私はどう返すべきか一瞬迷う。正直なところ、日本の工場で外国人がどのように扱われているかを私は知っている。それを肯定するのは偽善だが、全面的に否定するのも不誠実に思えた。

「日本での生活は決して楽ではありません。ですが、経験や技術を持ち帰る人も多い。きっと、彼の未来に役立つはずです。」

私の言葉に、彼は少し安心したように頷いた。

「でも、日本は厳しい国ですよね?」
「ええ、規則は多いですし、時間にも正確さを求めます。」
「ベトナム人には難しいかも。でも、あなたたちは忍耐強い。」
「忍耐強いというより、諦めるのが上手いのかもしれません。」
そう冗談めかして言うと、彼は吹き出した。

「それ、哲学ですね。諦める才能。ベトナム人も持っていますよ。」
「それなら、我々は親戚のようなものですね。」

二人で笑った。会話は拙くも、奇妙な連帯感が芽生えた。

やがて彼はポケットからスマートフォンを取り出し、写真を見せてくれた。バイクにまたがる家族の写真、テト(旧正月)の飾り付け、田んぼの風景。私はそこに、自分の故郷の田園を重ねて見た。どこの国でも、人の生活は似ている。違うのは屋根の色と、川の色と、コーヒーの甘さくらいだ。

グラスの底で氷が小さく砕け、会話が一段落する。私は勘定を済ませ、立ち上がった。彼も笑顔で手を振る。

「また会いましょう。Enjoy Hanoi!」
「ありがとう。またどこかで。」

外に出ると、夜の湿気が再びまとわりついた。カフェの裸電球は遠ざかり、バイクの洪水が通りを埋め尽くしていた。私はその中に歩を進める。異国は、見知らぬ誰かとの一杯のコーヒーで、確かに自分の中に根を下ろすのだ。

カフェを出て通りをゆく。バイクのエンジン音、笑い声、犬の鳴き声、そして遠くで聞こえるクラクション。街全体が一つの大きな交響曲を奏でているようだった。ふと、自分がこの音楽の観客であると同時に、微かな演奏者でもあるように思えた。異国の空気を吸い込み、目に映るものすべてが「私の物語」に組み込まれていく。

コーヒーを飲み干すと、氷がグラスの底でかすかに音を立てた。私は立ち上がり、再び夜の雑踏へ足を踏み入れる。ハノイの街は、観光地として美しく整えられる前に、すでに人々の生活そのもので満ちていた。その素朴さが、旅人の心を掴んで離さない。

カフェを後にし、私は夜の通りを歩き出した。バイクのエンジン音が糸を撚るように重なり合い、排気の熱と香草の青い匂いが肺の奥まで入り込む。異国に来たとき、人はまず「匂い」で旅を実感する。視覚はあとから意味を用意するが、嗅覚は先に記憶を刻む。鼻はいつだって、脳より勇敢だ。

数分も歩かないうちに、角の薄闇がふわりと明るくなる。裸電球が一つ、風に揺れている。小さなワゴンの上には、細長いフランスパンが斜面に積み上げられ、黄金色の皮が月光の代わりを務めていた。鉄板では豚肉がじゅうじゅうと油を跳ねさせ、刻んだ香草が熱でわずかに身をよじる。金属のヘラが鉄板を擦る音は、路上のオーケストラにとってのシンバルだ。屋台の背後では、若い女性がパンに切れ目を入れ、迷いのない手つきで具材を押し込んでいく。ためらいのない料理は、たいてい正しい。

「バインミー?」と彼女が目だけで微笑む。
「はい、一つください。」
その二語で取引は成立する。政治制度が違っても、胃袋の民主主義は世界共通だ。

フランスの植民地時代の置き土産が、二十一世紀のベトナムで最も庶民的な軽食として生き延びている。歴史はしばしば皮肉を好む。帝国は滅びても、パンは残る。国旗が降ろされても、朝食は廃止されない。制度よりも、日々の空腹のほうが政権交代に強いのだ。

焼き立てのバゲットに、焼き豚、パテ、きゅうり、なます、香草、そしてチリソース。彼女の手は、順序を迷わない。職人芸というより、生活のリズムがそのまま指先になっている感じだ。
「Egg?」
「今日はなしで。」
「Cilantro OK?」
「もちろん。」
「Spicy?」
「少しだけ。」
「Little?」
彼女は「Little」と言いながら、ベトナム基準の「ちょっと」を容赦なく絞り出した。世界には信じてはいけない単語がいくつかあるが、「Little」は上位に入る。

受け取ったバインミーを両手で包むと、想像以上の重さが掌に落ちた。パンの皮は薄く硬く、内側は湯気を孕んでいる。ひと口目で殻が気持ちよく砕け、熱と香りが同時に膨らんだ。焼き豚の脂は低く甘く、パテは舌の上で輪郭を溶かし、なますの酸が全体をきゅっと締める。香草は鼻に通り抜けて、体内の換気扇を回す。そこへチリが遅れて警察のサイレンのように鳴り込んでくる。練乳コーヒーで甘やかされた口腔に、緊急通達。「避難訓練を開始してください。」

「うまい。」独り言のはずが声になって漏れた。屋台の女性が聞き取ったかどうかは分からないが、彼女の手つきはさらに軽くなった気がした。料理人の給料には、客の一言も含まれている。

隣のプラスチック椅子に、いつの間にか中年の男が腰を下ろしていた。シャツの胸ポケットにボールペンを三本。仕事帰りの匂いがする。彼はパンにかぶりつきながら、視線だけこちらに滑らせた。
「Good?」
「Very good.」私は親指を立てる。
「Of course!」彼は笑い、再びパンへ戻る。言葉はそれだけで十分だった。パンの中には、言葉以上のものが詰まっている。

二口、三口と進むたび、構造が見えてくる。表面の破片は鋭く、内部は柔らかく、油分は重力を理解していて、ソースは統治を嫌う。食べ物には物理法則が正直に宿る。だから、食べ方には性格が露見する。私は慎重に進めるつもりが、いつの間にか頬にソースをつけ、指先にパテをつけ、紙ナプキンをもう一枚要求した。半隠遁を志す者は、食卓での痕跡を減らしたいものだが、屋台のバインミーはその誓いを軽々と破らせる。

「Hot?」と屋台の奥から年配の男性が茶化すように笑う。
「A little… ベトナムの little は、ちょっと強いですね。」
「Ha ha! Little ベトナム!」彼は胸を張って、唐辛子の瓶を得意げに掲げた。辛さに誇りを持つ文化はだいたい勤勉だ。

支払いのとき、私は小さく折りたたんだ紙幣を取り出した。薄くて軽い。その軽さが、今夜の満足に比べて滑稽に思える。価格を尋ねると、彼女は指を折って簡単に示した。数字よりも指の動きのほうが、納得しやすい値段だ。私は少し多めに渡し、お釣りを受け取りながら礼を言う。謝意は通貨に似ている。流通させるほど世の中が円滑になる。

食べ終えるころ、口の中は辛さと香草の清涼感で、ほぼ新規格に更新されていた。味覚のOSアップデートだ。星付きレストランの長いコースより、路上の一本のバインミーが説得力を持つ瞬間がある。政治演説より、屋台の一口のほうが人を動かすこともある。人間を動かすのは理念ではなく、たいていは温度と匂いだ。

屋台の女性が手を振る。私は会釈を返し、パン屑を払う。指先に残る油膜は、夜風でゆっくり薄まっていく。歩き出すと、バイクの赤い尾灯が川の稚魚の群れのように流れ、看板のネオンは発音の分からない単語を夜空に書き続ける。どこの街にも方言があるが、ハノイの方言は光だ。光は訛る。

路面の割れ目に雨の名残がわずかに残り、そこへ電球の光が落ちて、紙片や蟻を金色にしていた。道端の小さな祭壇には線香が立ち、細い煙が真っ直ぐ上っている。私は立ち止まりそうになって、やめた。敬意は足を止めなくても払える。視線の静かさで充分だ。

ふと思う。半隠遁とは、世間から距離をとることではなく、世間を過剰に所有しない技術のことだ、と。今、私の所有は満腹感とわずかな小銭、そして指先の油だけだ。これ以上は持たないほうが身軽でいられる。満たされすぎた荷物は、旅をにぶらせる。

背後で屋台のヘラが再び鉄板を叩く。次の誰かのための音だ。私は歩を進める。口の中に残る香草の余韻が、夜の湿気と混じり合い、街全体がゆっくりと呼吸しているのが分かる。パン屑一つとて、たしかに私の旅だった。文明の真価は宮殿ではなく、こうして路上で分かち合われる温度にあるのだろう。ハノイの夜はそれを、くどいほど明快に教えてくれる。

ホテルまでの帰り道、私は思った。異国を旅する理由は、美しい景色を写真に収めるためでも、高級な食事を味わうためでもない。日常の枠から少し外れて、他人の生活を一瞬だけ借りるためだ。ハノイの夜風は、私にそのことを思い出させてくれる。

【9】ベトナムマッサージ店

【10】夜のベトナム宴会

【11】深夜の散歩

【12】早朝のハノイ

【13】

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factory-workers
半隠遁生活を営む工場労働者